多くの人は眠りに落ちています。
多くの人は夢の中に生きているのです。
生きるということは、地に足を着けて生活するということです。
生活とは、命を長らえるための活動のことではありません。
精神的、肉体的、状況的、環境的、時間的・・・
様々な事に関して豊かに活動するということです。
生活とは、人生の目的であるのです。
それは、成長的な活動のことなのです。
ただ、同じことを繰り返すのが生活ではありません。
徐々に苦しくなることが生活ではありません。
次々に変化を導き、楽しくなることが生活を営むということなのです。
生きているだけでは生活をしているとは言えないのです。
多くの人は”生活をすることで精一杯”と言います。
それは、生活をしているのではないのです。
生きることに精一杯であれば、その時点において生活はすでに破綻しているのです。
しかしながら、多くの人はその状態を尊(とうと)いと”刷り込まれ”ています。
”生活できているだけ有難い”
”生きているだけで良い”
という考えが存在しています。
生活が精一杯の状態の人、生きていくことが簡単ではない人には、確かにそうかもしれません。
しかしながら、多くの人は豊かに生活を営む実力がありながらも、定義を間違えているために言葉の”奴隷”となっているのです。
多くの人は眠っているようなものです。
夢を現実だと思い、現実を夢だと思っています。
そのため、多くの人がただ生きることに目的を置くのです。
生きることは目的ではありません。
どう生きるのか?ということが重要なのです。
ただ生きてはなりません。
”質”が重要なのです。
食べられるものなら何でも良いと思いますか?
眠る場所はどこでも良いと思いますか?
一緒に生きる人なら誰でも良いと思いますか?
あなたはそのようには思わないはずです。
それは、”質”を求めているからです。
もちろん、人それぞに人生(生活)の”質”は異なります。
しかし、それぞれが豊かさを求めているために、”こだわり”が生まれるのです。
あなたはこだわらなければなりません。
何でも良いと考えてはなりません。
与えられるものを何の理由もなく受けてはならないのです。
あなたの判断で構いません。
”質”にこだわりましょう。
あなたが豊かに生活するために欠かすことのできないことがあります。
それは、根本的な質問です。
あなたは、自分自身に対して根本的な質問を投げ掛けなければなりません。
あなたは常に自分に問うのです。
”何のためにそれをしているのか?”
何度も何度も問い掛けなければなりません。
この簡単な質問は、物事の歪み、偽装を引き剥(は)がします。
あなたがこの質問を様々なものに投げ掛けた時、それは夢から覚めるでしょう。
あなたは、簡単な質問によって目覚めることができるのです。
あなたは何のためにその仕事をしているのですか?
多くの人は生活のため、お金のため、このように答えるでしょう。
何のために生活するのですか?
何のためにお金が必要なのですか?
このように何度も問えば、本当の理由が見えてくるはずです。
あなたは自分自身に問い続けましょう。
何のために生きているのですか?
何のための人生なのですか?
あなたは誰なのですか?
答えを探しましょう。
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