多くの人は、集うことによって力を発揮することができると考えています。
多くの仲間がいれば、力強いと感じるのです。
そして、互いに求め合い、接近します。
人が集まれば大きな事を実現することができます。
一人で出来ないことは、二人であれば可能です。
二人よりも三人、三人よりも四人の方が大きな事は実現することが可能なのです。
しかしながら、大きな事と力には、必ずしも関連性がある訳ではありません。
集まることによって力を失うこともあるのです。
それぞれの力は弱くても、正しい者が集まれば大きな力となるのです。
しかし、歪んだ者が集まれば力は小さなものとなります。
それぞれが正しく機能する組織であれば、大きな成果を実現することができます。
しかし、それぞれが正しく機能することがなければ、成果は小さなものとなるのです。
多く集まれば良いというものではありません。
どのように集うのか?ということが重要なのです。
余計な荷物を抱えることは最善とは言えません。
成果を上げるためには、成果という結果から原因を考える必要があります。
山に登るのであれば、下山した時から考えなければなりません。
多くの人は登山することを考えています。
そして、登山するための準備をするのです。
それは当然のことのように聞こえます。
しかしながら、それは原因から過程までの思考でしかないのです。
ドライブを楽しみたいのであれば、帰りの燃料のことを考えていなければならないのです。
多くの人は登頂を成果と考えます。
それは、その状態が最も目立つからです。
しかしながら、登頂すれば下山しなければならないのです。
登山の成果とは、帰宅した時に実現するのです。
余計な荷物を抱えて登山することに益があるでしょうか?
登山に必要な荷物だけを選択し、それ以外のものは抱えてはならないのです。
薄情に聞こえるかも知れませんが、成果に対して貢献しない者と集うことには益がありません。
多くの人は仲良くいたいのです。
しかし、それは偽善でしかないのです。
余計な荷物を抱えて登山することを喜ぶ人はいません。
あなたも喜びはしません。
登山の益にならない荷物は、登山の益とならないだけであり、他の用途があるのです。
多くの人は安易に集います。
その結果として、不調和が導かれているのです。
偽善をやめましょう。
偽善が力を奪います。
偽善者が集う程に、輝きは失われるのです。
多くの人は楽するのを隠すために集います。
そして、弱さを隠すために依存します。
その結果、利益を貪(むさぼ)る者が組織に入り込むのです。
それは、岩に打ち込まれた楔(くさび)のように、少しずつひびを生じさせます。
やがて、小さな楔によって大きな岩が砕けるのです。
楔を打ち込まなければ、岩が砕けることはなかったのです。
集まることによって力を発揮することができると考えているのであれば、注意が必要です。
誰が集まるのか?ということが重要なのです。
正しく機能する人が集わなければなりません。
それぞれの能力を見極めなければならないのです。
情に流されて、楔を打ち込んではなりません。
登山するのに、余計な荷物を抱えることは命取りとなることを知りましょう。
何のために集うのか?を考えましょう。
家族だから、近くに住んでいるから、昔からの付き合いがあるから・・・
様々な理由があるでしょう。
人生というものを考えた時には、そのような曖昧(あいまい)な理由、何の根拠もない理由が破滅を導くことが分かるはずです。
心に苦しみを感じる集いをやめましょう。
そのような集いに価値はありません。
少数でも良いのです。
大きなことではなく、正しいことを実現するのです。
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