人は、人生において成長することを目的として掲げています。
誰もが成長する必要があるのです。
成長するということと、幸福を得るということは同じです。
すべての人はそれぞれの形の幸福を求めています。
それは、それぞれの成長を求めているということなのです。
成長と幸福が同じものであるということを知らなければならないでしょう。
しかしながら、世の中には、成長することを否定しながらも、幸福を求めている者が存在します。
要は、楽がしたいのです。
成長とは楽なことではありません。
人が成長するためには、問題に向き合わなければなりません。
辛抱強く継続しなければなりません。
懸命に勉強し、努力を重ねなければなりません。
苦悩を乗り越えた先に成長が実現するのです。
楽に成長することができる方法など存在しないのです。
もしも、そのように言う者がいれば、それは詐欺師であるか、愚者(ぐしゃ)であるということを理解しましょう。
問題(苦悩)に向き合わずに幸福を手にすることなどできません。
そのような方法は存在しないのです。
しかしながら、多くの人はそのようなありもしない話に食い付きます。
それは、甘い花に引き寄せられる蝶のようなものです。
お花畑を飛び回り、花の蜜を吸うために舞い降ります。
その時に捕食者に捕らわれてしまうのです。
楽をして幸福が手に入ると考えているような、”お花畑”の考えを信じている者は、苦悩という捕食者に簡単に捕らわれてしまうでしょう。
花の蜜を吸うために警戒し、懸命に舞い降るのであれば、捕食者に捕らわれる可能性は少ないでしょう。
苦悩を乗り越える者だけが成長し、幸福を手にすることができるのです。
蜜を吸うために花に舞い降りることには危険があります。
それは、苦悩に捕らわれる可能性があるのです。
次に、多くの人は花に舞い降りることができなくなります。
そして、安全な空中を腹を空かせて飛び続けることになるのです。
それも、やがては苦悩を呼びます。
何の考えも無しに舞い降りれば、捕食者に捕らわれます。
捕食者を恐れることによって、蜜を吸うことができなくなります。
多くの人はこのどちらかの状態にあるのです。
蝶は、捕食者に捕らわれる訳にもいかず、花の蜜を吸わない訳にもいきません。
捕食者に捕らわれることなく、花の蜜を吸わなければならないのです。
人であれば、苦悩を恐れることなく、喜びを手にしなければなりません。
喜びとは、成長の材料です。
それは、変化の中にこそ存在しています。
多くの人は居心地の好い場所を好みます。
居心地の好い価値観、生き方、思考、行為、人間関係・・・
自分とは異なる価値観や生き方を持つ者を嫌い、遠ざけます。
多くの人は仲間内を喜んでいるのです。
しかし、これには気を付けなければなりません。
仲間内で固まるということは、変化を放棄するということになるからです。
人が変化するためには、違う”レベル”の人と付き合わなければなりません。
(”レベル”とは、その道における意識の状態やノウハウなどのこと総合的な実力のこと。人を差別する意味ではない)
それが”上”であろうと、”下”であろうとも構いません。
ただ、同じ”レベル”で戯(たわむ)れていてはならないのです。
”レベル”が違えば、価値観や生き方は異なります。
それは、あなたに居心地の悪さを導くでしょう。
あなたは居(い)た堪(たま)れない気持ちになるでしょう。
そこには、何かしらの苦悩が導かれるはずです。
しかし、それで良いのです。
その程度の苦悩に捕らわれるような状態であれば、成長することはできません。
苦悩を学べば良いのです。
決して幸福を実現することなどできないのです。
あなたは仲間内を喜んではなりません。
常に”レベル”の異なる相手と向き合い、多くのことに気が付きましょう。
”レベル”の異なる相手との向き合いは、あなたに苦悩を導くでしょう。
それを乗り越えて行きましょう。
戯れに人生を浪費してはなりません。
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