人は成長し続けなければなりません。
成長することがなければ、どのような目的も果たすことができないからです。
人は目的を持っています。
すべての人が目的を実現するために存在しているのです。
目的の実現のために存在しない者はいません。
それぞれが、それぞれの目的のために存在しているのです。
人は、自らの掲げる目的を実現するために生きているのです。
目的を実現することなく、満足を得る者はいません。
満足とは、目的の実現によって導かれる副産物であるからです。
幸福とは、満足の継続であり、目的を達成し続けることによって得られる結果であるのです。
目的の達成を無視して、幸福を得ることのできる者はいません。
どのような者も、自分を裏切って幸福を覚えることはできないのです。
すべての人が目的を所有しています。
目的を所有していない人はいません。
目的のために働いている時には、人は満足を得ることができます。
しかし、目的も無く働いている時には、虚しさを得るのです。
虚しさの蓄積は苦悩となります。
虚しさや苦悩を抱えて生きている人は、目的を見失っているのです。
目的を見失っている者が成長することはありません。
それは、努力や継続を放棄するからです。
この世界において、努力と継続無しにどうやって幸福を実現するというのでしょう?
何の目的も持たず、努力も継続もせず、何の知恵や工夫も出さず、自分の限界に挑戦することもなく、戯(たわむ)れに時を過ごし、虚しい会話を楽しみ、老いて朽(く)ちていく人生に満足することができるのでしょうか?
それを楽しいと思い、自己満足によって納得したとしても、実質はどうなのでしょう?
自分勝手な判断で幸福を主張したからといって、それが真の幸福なのでしょうか?
何も得ず、何の功績も立てず、何も遺さない。
このような人生に満足なのでしょうか?
人それぞれに目的は違います。
そのため、満足の形も違います。
しかし、自分を裏切るのであれば、決して満足を得ることはできないのです。
自分を裏切る者が成長することはありません。
成長することの無い者は、自分が弱いことを知っています。
そのため、葦(あし)のように群生します。
しかし、一本一本は細く脆(もろ)いことには変わりありません。
葦が何本束(たば)になろうとも、それは簡単に折られるのです。
長い時間を掛け、努力と継続によって確実に成長し続ける樹木は、一本でも折れることはありません。
成長した人は一人でも力強く、成長しない人は大勢でも非力なのです。
編んだ紐(ひも)であっても、一本が細ければ荷を吊るすことはできません。
太く編んだ紐であれば、重たい荷を吊るすことができるのです。
成長することがなければ、決して満足を得ることはできません。
人生に幸福を求めるのは簡単です。
誰もがそのようにします。
しかし、幸福を実現するのは簡単ではないのです。
それは、努力と継続が必要条件であるからです。
楽をして幸福を得ることなどできません。
この世界において、楽をして幸福を得る人などいないのです。
幸福を得る人は必ず、努力と継続をしています。
自分の目的を実現することは、心には楽しいことです。
心にとって、これ以上の喜びはありません。
心にとって楽しいことに労力を注がないことは、自分への裏切です。
あなたの心には、果たしたい目的があるはずです。
知らないのであれば探しましょう。
必ず存在しています。
自分の目的を果たし、成長を実現しましょう。
何のために生きているのか?
あなたは忘れてはなりません。
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