人は、考え続けなければなりません。
	考え続けなければ、物事の問題点に気が付きません。
	問題点に気が付かずにいれば、問題は悪化します。
	大切なのは、物事を悪化させることではありません。
	物事を良くしていくことが求められているのです。
	この世界においては、豊かさが求められているのです。
	豊かさに向かわないものは破滅を得るのです。
	必要とされているのは、豊かさなのです。
	すべての存在は、より良いものを求めています。
	それを求める存在の価値観に従って、物事は淘汰されていきます。
	あなたが何かに対して、より良い方法を思い付いたのであれば、今までの方法はやめるでしょう。
	それと同じです。
	どのような存在も、より良いものが手に入れば、それまでのものは捨てるのです。
	この世界では、必ず豊かさが求められます。
	あなたが目指さなければならないのは、より良い方法、豊かさであるのです。
	そのためには、より良い方法を探し続けなければなりません。
	探さないのに見付けることはできません。
	あなたが発見することができるものは、この世界に既存(きぞん)するものに限られます。
	どのように良い方法であっても、この世界に既存しているものであるのです。
	ただ、それを発見しているに過ぎません。
	そのため、考え続け、探し続けるのであれば、必ず見付かります。
	それを見付けることができないというのであれば、考えていないだけなのです。
	あなたがより良い方法を見付けることができず、苦悩を抱えているのであれば、それは考えていないということなのです。
	ただ、それだけです。
	多くの人は、自分では必死になって探し、必死になって考えたと思うでしょう。
	しかしながら、そうではありません。
	探していないから見付からず、考えていないから発見することができないのです。
	必死で探し、必死で考えてなどいないのです。
	言い訳によって、自らの弱さを擁護(ようご)するのはやめましょう。
	苦しみを和らげるために布石(ふせき)を投じる必要はないのです。
	被害者意識によって、自らを辱(はずかし)めてはならないのです。
	あなたは自力によって問題を解決し、苦悩を制することができるのです。
	そのためには、考えるだけなのです。
	多くの人は自己中心的な考えの中に生きています。
	自分の主張を押し付けることはしても、相手の話を理解しようとはしません。
	主張が強過ぎれば、会話は成り立たないのです。
	考えるということは、噛(か)み砕(くだ)くということです。
	大きなものを細分化する作業こそが考えるということなのです。
	理解することができないことは考えなければなりません。
	考え続けることによって細分化し、一つ一つの小さなものを理解することによって、大きなものを理解するのです。
	初めから大きなものを理解することなどできないのです。
	そのため、あなたはそれを理解するまで、例え長い時間を掛けても考え続けなければならないのです。
	自問自答することによって、物事を細分化することができます。
	一つのことに対して、自分の中で何度も何度も考え続けるのです。
	大きなままで投げ出す人が多いのです。
	必死に考えたとは言えないのです。
	必死に考えたと主張しながら、遊んでいるのです。
	必死に考えたと主張しながら、他のことに気を逸(そ)らしているのです。
	寝る間も惜しんで考えれば良いのです。
	足りなければ、寝ている時にも考えましょう。
	そのくらいのことはしましょう。
	あなたが必死に考えたのであれば、そのくらいのことはやっているはずなのです。
	人は自問自答によって物事を細分化すれば、客観を得ることができます。
	それは、どのようなことであっても、その本質は”愛”だからです。
	自分のためにあることなど何もありません。
	すべては、自分以外のために存在しているのです。
	自分以外のために考えることができない者が、どうやって豊かさを得るのでしょうか?
	多くの人は考えることが嫌いです。
	それが、その人の人生に現れています。
	自分勝手な者は滅びます。
	人は考え続けなければなりません。
	自問自答を繰り返しましょう。
	
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