あなたはどうして、短い時間で理解することができるのでしょうか?
あなたはその時間で、何を理解したというのでしょう?
あなたが理解するには、時間が短過ぎるのです。
多くの人は、簡単に理解を得られると考えています。
残念ながら、そう簡単に理解することができるほど、何事も浅はかなものではありません。
それは、すべての道が真理を本質に持つからです。
どのような道も、その本質は同じです。
どのような道を進もうとも、同じ場所に辿り着くのです。
どのような道を進んだ者であっても、理解を深めた者達ならば分かり合えるのです。
道を進み、理解を深める程、分かり合えるのです。
枝先を見た時、それぞれは別のものに見えます。
しかし、それを辿る程に集約されていくことに気付きます。
やがては数本の枝となり、一本の幹となるのです。
数え切れない無数の枝先も、一本の幹から派生しています。
人間が進むどのような道も、その本質、根源には真理があるのです。
どのような道を進むのも同じです。
無数に別れた枝にも、同じ花が咲き、同じ実が成るのです。
しかしながら、枝にはそれが分かりません。
それは、それぞれが離れているように見えるからです。
幹にはそのことが分かっています。
離れている枝も、すべては同じ幹から派生したことを知っているのです。
物事の理解を深めるということは、枝先から幹を辿るようなものです。
始めはまとまりのないもののように思えます。
しかし、下に、下に辿るほどにまとまるのです。
理解を深めた者達は、同じ考え方を所有します。
そして、同じ生き方をするのです。
枝には枝の生き方があります。
幹には幹の生き方があるのです。
同じ樹木であっても、枝と幹では別の働きをしているのです。
そのため、互いが分かり合うのは不可能です。
枝は幹を理解することができません。
それは、本質から離れているからです。
根に近い程、樹木(本質)なのです。
枝がそれを理解するためには、月日を重ね、”古い枝”にならなければなりません。
それを繰り返すことによって、太い枝となり、やがては幹にもなるでしょう。
そのためには、多くの時間が必要なのです。
多くの人は簡単に理解したつもりでいます。
あなたは本当に何かを理解したのですか?
真理とは、そのように浅はかなものなのですか?
何十年か勉強しただけで理解することができるようなものなのでしょうか?
理解することができないために、生まれ変わっているのです。
どのような道にも終わりはありません。
人は、どのような道も理解することはできません。
あなたが何十年とその道を追求しても、理解することはできないのです。
そのため、辛抱することが必要です。
理解したと勘違いをして、分かった気になっている者がいます。
しかしながら、そのような者ほど何も分かってはいないのです。
あなたは道を追求しなければなりません。
少しでも理解を深めるように努めましょう。
あなたは常に挑戦し続けることが許されています。
そのことを喜ばなければなりません。
あなたは一生涯、学び続けることができるのです。
どのような道であっても、短い時間では決して理解することはできません。
あなたには長いように思えても、数年では枝は枝のままなのです。
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