あなたの認識は、あなたの目の前にのみ限定されます。
	あなたは、ほとんどのことを知りません。
	あなたが知っていることはほんの少しのことだけであるのです。
	その中で理解していることは、それよりも少ないものであるのです。
	多くの人は、自らの価値観の中に認識を置きます。
	価値観を離れては認識は成り立ちません。
	すべての人が価値観を所有しますが、その内の大抵の人がそれに縛られているのです。
	価値観を離れて認識を実現することができる人はほとんどいません。
	自分自身が信じることができないことは、信じることができないのです。
	当たり前のように聞こえるかも知れませんが、重要なのは、信じることができないことであっても信じるということなのです。
	あなたは、信じることができないことを信じることができますか?
	矛盾しているように聞こえるかも知れませんが、これを実現する必要があるのです。
	信じることができないこととは、あなたの価値観の外にある可能性です。
	あなたの信じるところに従うということは、限定された価値観の中で生きていくということです。
	限定された価値観の中に生きるということは、それ以上の可能性は得られないということなのです。
	可能性が得られないということは、それ以上の向上は望めないということです。
	それ以上の向上が望めないのであれば、それ以上の幸福を得ることはできないのです。
	人生の目的は成長にあります。
	成長するということは、幸福であり続けるということです。
	あなたは幸福でなければなりません。
	不幸であるということは、成長が実現していないということなのです。
	成長が実現していないということは、可能性を得ることができていないということです。
	それは、限定された小さな価値観の中に生き続けているということを現しているのです。
	人の人生における目的としては、それは間違いであるということを理解しましょう。
	成長することが目的であるということを理解することができない者にも、幸福であることが目的であることは理解することができるでしょう。
	すべての人が幸福を求めています。
	しかし、そのために価値観への執着を捨てることは稀(まれ)です。
	それは、信じることができること以外を信じることができないからです。
	あなたはいつまで小さな価値観の中に生きるつもりですか?
	それが”自殺行為”であるということを理解しなければなりません。
	ただ生活して、ただ子孫を残すことが人生の目的ではないのです。
	しかし、多くの人がそれが人生の目的なのだと思い込んでいます。
	生殖期間など、人生においては短期間であるのです。
	しかし、それに多くの労力を注いでいるのが”普通”です。
	そのために、知性と真実と可能性を犠牲にしているのです。
	あなたは本質を見つめなければなりません。
	欲望を満たすことが目的ではありません。
	不安を埋めることが目的ではありません。
	優越感に浸ることが目的ではありません。
	成長することのみが目的であるのです。
	自らの目的すら見失っているのです。
	それが、この世界における”普通”であるのです。
	目的を見失っているというレベルに生きているのです。
	あなたは人生が何のためにあるのかを知っていますか?
	あなたは自分自身を何者だと思うのですか?
	これ等を知らないのが”普通”です。
	これ等を考えたこともないのも”普通”なのです。
	そのようなレベルに生きているという事実に気が付きましょう。
	あなたは何のために生まれ、何のために生きているのですか?
	自らの信じることができる小さな価値観の世界の中に、いつまで固執(こしゅう)するつもりなのですか?
	信じられないことの方が多いのです。
	あなたはなぜ、自分が優れていると思うのですか?
	人生が何のためにあり、自分自身が何者であるのかすら知らない者が、どうして優れているのですか?
	信じることができないことを信じなければなりません。
	いつまでも、小さな世界に生きてはなりません。
	自らの意思によって、世界を広げましょう。
	認識を彼方(かなた)にまで届けましょう。
	
0 件のコメント:
コメントを投稿