このブログについて

「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2015年5月26日火曜日

既知

あなたは所有している知識だけに頼ってはなりません。
所有している知識だけに頼ることは、既存の世界にとどまるということを意味しているからです。
それは、小さな世界にとどまることに等しいのです。
それでは、それよりも多くの可能性を得ることができずに、世界が広がりを見せることはありません。
世界が広がりを見せなければ、自身の向上もないということを理解する必要があるのです。
既に知っていることは、現状維持に対しては有効です。
既存の知識というものは、土台であるということを理解しなければならないのです。
土台を固めることは重要ですが、土台を固めるだけでは、いつまで経ってもそこには何も建設されないのです。
土台を固めることに成功したのであれば、柱を立て、屋根を築かなければならないのです。
建築物を支えるために土台を拵(こしら)えるのです。
建物を築かなければ、豊かな生活を得ることはできないのです。
どれだけ頑丈な土台であっても、日差しや風雨を防ぐことはできないのです。
そこには苦しみが導かれるでしょう。
人は豊かな人生を生きるために、頑丈な土台の上に家屋を建て、それを拠点としなければならないのです。
既存の知識に縛られる者がいます。
そのような者は、自分が既に偏見に捕らわれているということに気が付きません。
本当は建物が無いことに気が付かずにいるのです。
それは滑稽(こっけい)です。
自分が家屋を持つ知識人だと思い込んではいますが、その実、日差しや風雨を避けることができません。
そのため、人生が豊かなものであると思い込んではいますが、本当の豊かさを知ることもなく死んでいくのです。
唯物的な考えの者に多く見られる特徴です。
強過ぎる物質主義や自己陶酔が、その者を盲目にし、小さな世界に限定するのです。
知っていることは多いのでしょうか?
残念ながら、あなたは自分自身が無知であるということを理解しなければなりません。
あなたが知っていることは、全体の数パーセントにも満たないのです。
自分自身が何者であるのか?
人生が何のために存在し、何のために生きているのか?
ということすら知らないのに、どうして自分が”知っている”と言えるのでしょうか?
あなたは知らないのです。
知らない者が、小さな知識を用いて全体を見れば、それが歪んで見えることは当然です。
知らない者が理解することのできることなどないのです。
あなたはルールの分からないスポーツを観戦して、それの何が分かるのですか?
勝者と敗者くらいは分かるかも知れません。
しかし、それがあなたに喜び(豊かさ)を導くでしょうか?
ルールを知り、そのスポーツの奥深さを理解していれば、そこには喜びが導かれるのです。
既存の知識に頼るということは、初めて観戦した時と同じ知識のままで、何度も観戦するようなものです。
それが、如何に愚かなことであるのかを理解したでしょう?
あなたは自らが信じていないことも受け入れなければなりません。
信じているものばかりで固めてはならないのです。
それこそが、偏見であるということに気が付かなければならないのです。
知らないことを知るということは良いことです。
それは、あなたの可能性を広げます。
それは、大きな家屋が建つのと同じです。
新たに知ることによって、あなたは人生を豊かなものとすることができるでしょう。
新たに知ることによって、これまでの知識は土台として利用されます。
あなたの築く家屋は、より大きなものとなるのです。
それは人生の広がりです。
未知に対して恐れてはなりません。
それは良いものです。
既知(きち)にとどまることは安心ですが、あなたはそこにとどまってはなりません。
常に未知に対して興味を抱き、それを取り入れるように努めましょう。
あなたは所有している知識だけに頼ってはなりません。
小さな世界があなたを救うことはありません。
より大きな世界を生きるのです。
あなたはそこで自由を得るでしょう。

0 件のコメント:

コメントを投稿