すべての人は光を求めています。
	光とは希望です。
	希望とは幸福であり、幸福とは喜びであるのです。
	すべての人が喜びを求めています。
	それは、人生の目的が喜びにあるからです。
	人は成長することによって喜びを得ることができます。
	喜びとは成長であるのです。
	成長することに苦悩する人はいません。
	成長するとは、より多くの喜びを得ることができる状態のことです。
	成長することは、誰にとっても喜びであるのです。
	すべての人が幸福を求めます。
	主義主張には違いがありますが、それぞれの信じる幸福の形を求めているのです。
	幸福を求めるのは、誰にとっても同じことなのです。
	それは、喜びの追求であるということを覚えておきましょう。
	喜びを求めない人はいません。
	あなたは喜びを求めているのです。
	どのような主義主張を展開しようとも、それが行き着く先は喜びであるのです。
	そのことを理解しましょう。
	すべての人が、それぞれの立場はあるにしても、光を求めています。
	しかし、現状においてすべての人物が未熟です。
	そのため、自分にとっての光を求める余り、”影”の重要性を忘れてしまうのです。
	この世界では、光のある場所には影が存在します。
	光だけでも、影だけであっても、存在することができません。
	自ら発光する太陽であっても、影(太陽黒点・・・温度の違いによって発光していても影に見える)があるのです。
	光と影を切り離すことはできません。
	”神”はこの世界に対して、喜びと同時に苦しみを生んだのです。
	苦しみが存在するのは、それが”神”によって必要であると判断され、許されているからに他なりません。
	そのため、あなたが”神”(宗教のことではない)を信仰する時、苦しみを否定することはできないのです。
	すべての人が光を求めています。
	苦しみを否定して、できる限りの喜びを求めるのです。
	人生が喜びで溢れることは良いことです。
	誰にとっても喜びが多い方が良いに決まっています。
	しかし、喜びを求める余り、苦しみを否定することは間違っているのです。
	太陽が毎日照り輝けば、地上は焼けてしまうのです。
	地上が焼ければ、水は干上がるのです。
	生命を保つためには水が必要です。
	水が無ければ生命は存在することができません。
	そのため、水は生命よりも大切であると言えます。
	生命が水を失わないためには、曇天(どんてん)が必要です。
	影が無ければ、大切なものを失うことになるのです。
	人生においての曇天とは苦しみです。
	浅はかに考えるのであれば、苦しみを否定するのは仕方のないことです。
	子どもは雨空を憎みます。
	しかし、大人は雨空に歓喜するのです。
	見解の成熟度の違いがそこにはあるのです。
	あなたは苦しみを憎みますか?
	それで幸福を得られると思いますか?
	なぜ、それが苦しいのか?ということを考える必要があります。
	”神”よりも、あなたの方が優れているのですか?
	”神”はすべての創造主です。
	あなたもその中に含まれます。
	自らの創造主よりも優れているというのであれば滑稽(こっけい)です。
	”神”(因果の仕組み)が苦しみを導いたのです。
	苦しみを否定するのは、創造主への反抗なのです。
	その苦しみには大切な意味があるために導かれたのです。
	曇天が訪れなければ、あなたは生命すら保つことができないということを覚えておきましょう。
	光のみを追うことを止め、影も大切にしましょう。
	喜びのためには、どちらも大切なのです。
	苦しみに対する態度を改めましょう。
	
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