人は信仰に従って行います。
	すべての人が信仰を所有しています。
	無神論者であっても、無神論という信仰を所有しているのです。
	すべての人が何等かの信仰体系を所有しており、それに従って行為しているということを理解しなければなりません。
	あなたも、自らの信仰体系に従って生きています。
	そのように意識したことはないかも知れませんが、そのように行っているということを受け入れる必要があるでしょう。
	誰もが正義を掲げています。
	立場によって正義の形は違うものの、すべての人がそれを固く守っているのです。
	あなたの正義は、あなたの信仰です。
	形が違うだけであり、人は信じるところに従っているのです。
	信仰は人の行為を左右する力を持っています。
	それは、順路の示された地図のようなものです。
	人は地図に示された順路を信用し、それを辿るのです。
	地図を確認しながら進む人は、道端の人がそれとは違う順路を示しても、それを聞き入れることはありません。
	その順路よりも近道があるとしても、地図に示された順路が間違っていたとしても、所有する地図に示してある順路を信じるのです。
	あなたは自らが信用している地図と、道端の人の情報のどちらを信じますか?
	多くの人は自らが既に信用している地図を信じるのです。
	その順路が間違ってるにしてもです。
	道端の人の親切にも気が付きません。
	そのため、道に迷うことがあるのです。
	道は常に新たに生まれます。
	目的地へと辿り着くための順路は、日々変わっているということを理解しましょう。
	古い地図によって辿り着くことはできないのです。
	最新の順路に従う必要があるということを理解しなければなりません。
	信仰体系には、主従関係を結ぶものがあります。
	師匠と弟子、教祖と信者などのように、主従関係を結ぶものがあるのです。
	主従関係とは縦の繋がりです。
	それは立場を上下に二分します。
	上の立場の者は傲慢さを得る可能性を抱き、下の立場の者は自虐性を得る可能性を抱くのです。
	ほとんどの宗教がこの体系を所有しています。
	これは、本当に人々を幸福に導くのでしょうか?
	その地図に示されている順路は、あなたを正しい目的地へと辿り着かせるのでしょうか?
	あなたは古い価値観に捕らわれてはなりません。
	初めから準備された制度が、本当に正しいとは限りません。
	あなたは地図を渡された時に、それが常識だと教えられます。
	純粋なあなたはそのことを疑うこともないでしょう。
	昔からそうだから、皆がそうしているから、などの理由によって、それを信用するのです。
	主従関係は、あなたに有益に働くシステムであるのか?ということを考えなければなりません。
	主従関係がどのような結果をもたらしたのか?ということを冷静に見つめなければなりません。
	あなたの信仰は、幸福を導くのでしょうか?
	それによって、人生の目的である成長を実現することができるのでしょうか?
	あなたが何かしらの宗教を信仰しているのであれば、それは本当に正しい形であるのでしょうか?
	主従関係が豊かさを導くことはありません。
	互いに同じ目線に立ち、互いに尊敬し合えば良いのです。
	あなたは誰よりも優れてはいません。
	あなたは誰よりも劣ってはいません。
	すべての人が共に歩んでいるのです。
	地球に存在する人類には、違いはありません。
	同じ段階の仲間であるために、同じ場所に生きているのです。
	上下があるのならば、違う場所に生きているということを理解する必要があるのです。
	歪んだ信仰は捨て去らなければなりません。
	あなたは誰をも師としてはなりません。
	あなたは誰の師にもなってはなりません。
	偽りの信仰に騙されないように注意しましょう。
	
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