あなたは何度もその道を通らなければなりません。
一度で過ぎることのできる道はありません。
何度も何度も通ることがなければ、その道を通過することはできないのです。
人生の目的を思い出しましょう。
それは成長です。
すべての存在は成長のために生きているのです。
あなたは成長しなければなりません。
成長するためにその道を通ります。
そして、必要な成長が実現されたのであれば、その道を過ぎることができるのです。
しかし、必要な成長が実現されなければ、その道を何度も何度も通る必要があるのです。
成長は簡単なものではありません。
そのため、人は何度も繰り返さなければならないのです。
成長が一日で実現するのであれば、人生は一日で事足りるのです。
何年も、何十年も生きる必要などないのです。
あなたは成長のために繰り返さなければならないのです。
繰り返さなければならないことに苦悩してはなりません。
それは、仕方のないことなのです。
”諦めて”繰り返しましょう。
成長が実現するまでは耐えなければなりません。
あなたがどう思おうとも、成長に必要なことを何度も何度も繰り返さなければならないのです。
あなたは必ず見落とします。
一度見ただけでは何も見えません。
二度見た時には、漸(ようや)く見えるようになるでしょう。
三度見た時には、落ち着いて見ることができます。
四度見た時には、理解することができるでしょう。
五度見た時には、それをより理解することができるでしょう。
人は未熟です。
そのため、必ず見落とします。
見る度に様子が違うことに気が付きましょう。
見る度に様子が違うのは、あなたが変化したからに他なりません。
それは、繰り返すことによって認識の練度が高まるからです。
二度目に通る道の景色は、初めて通った時のものとは違っているでしょう。
繰り返すことによって、認識は詳細に至るのです。
そのため、人は何度も何度も繰り返さなければならないのです。
あなたは簡単には理解しません。
すべての人が偏見と傲慢(ごうまん)を所有しています。
それが自我と呼ばれる歪みです。
人は自我を通して見るために、そこには我欲が投影されます。
そのため、見ているようであっても、見てはいないのです。
物事を正しく見ることができるのは、自我を克服した者だけであるのです。
あなたは見ているようで見ていません。
そのことを受け入れましょう。
自分が見えているなどと考えてはなりません。
あなたが”それ”を繰り返しているのがその証拠です。
あなたは何度もその道を通らなければなりません。
それは、成長の余地があるということを意味しているのです。
何度も繰り返すことを悲観してはなりません。
繰り返す度に認識の練度は高まります。
それは、成長しているということなのです。
どのような人であっても、繰り返すことによって成長を実現することができます。
何度繰り返す必要があるのかは、人それぞれです。
しかし、繰り返すことによって必ず成長を実現することができるのです。
あなたは大切なことを必ず見落としています。
道を行く時には、その景色をできる限り鮮明に記憶しましょう。
そして、見落としを無くして成長し、道を通過しましょう。
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