人生で大切なことは、それを正しく理解することです。
	正しく理解することがなければ、あなたは成長することができません。
	成長こそが人生の根本的目的です。
	何を経験しようとも、それは成長のためであるということです。
	正しい見解によって、正しく理解することがなければ、人は成長を実現することができないのです。
	正しく理解するためには、正しく見る必要があります。
	正しく見ることができなければ、正しい理解は決して実現しないのです。
	そのため、あなたは正しく見るように促(うなが)されます。
	あなたは常に正しく見せられるのです。
	それは状況に現れてきます。
	あなたが経験することは、それを正しく見るための練習です。
	人生は、あなたに正しく見せようと努めているのです。
	あなたが正しく見るのに最適な角度を示しているということを理解しなければなりません。
	あなたは常に最善の角度によって見せられます。
	それは、あなたにとっては自らの弱さとの対峙になることもあります。
	正しく見るということは、自らの現状を直視することであるのです。
	人は弱さを克服するために生きているのです。
	それは、弱さとの対峙です。
	しかし、弱さと向き合うことは簡単ではありません。
	それは、苦しみを伴うからです。
	汚れた部屋を見ることは、誰にとっても苦痛です。
	苦痛が麻痺している者がいますが、その者も初めは苦痛を受けたのです。
	そこで、人は人生に立ち止まることを求められます。
	正しく見ておらず、正しく理解していないという判断が下れば、あなたはその場で足踏みをしなければなりません。
	立ち止まってよく見る必要があるのです。
	立ち止まれば、歩いている時と比べて鮮明に見えるようになります。
	自らが止まっているために、対象も止まるからです。
	落ち着いて念入りに見るのであれば、今までは気が付かなかったことにも気が付くことができるのです。
	それが、正しく理解することに繋がるのです。
	理想通りに進まないことを気に病む者がいます。
	しかし、あなたの理想など、人生の豊かさを導くための最善の方法などではありません。
	それは、あなたが未熟であるからです。
	言っておきますが、すべての人が未熟です。
	すべての人が成長を求められているのです。
	すべての人が正しく見て、正しく理解することが求められているということを覚えておかなければならないのです。
	理想通りに進む必要などないのです。
	人生が足踏みを始めたのであれば、足踏みをしておきましょう。
	その中で、景色に注目するのです。
	何一つとして無駄なことはありません。
	それがどのような状況であろうとも、そこには大切な意味があるのです。
	立ち止まっているのであれば、よく見てよく学ぶのです。
	それが大切です。
	できることは多くあります。
	あなたはその状態で、成長のためにできることは何か?ということを探しましょう。
	八方塞がりであると思える状況に陥ったとしても、できることはあるのです。
	どのように追い詰められても、やらなければならないことがあるのです。
	あなたは正しく理解することを求められています。
	すべてが大切な経験です。
	人生が前を向いて進まないくらいで慌ててはなりません。
	立ち止まることなどよくあることなのです。
	立ち止まることのない人など存在しません。
	誰もが足踏みを強制させられます。
	できることを放棄してはなりません。
	どのような時にも、正しく理解するように努めましょう。
	
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