個人的な利益のためにこの世界が存在しているのではありません。
	この人生は、個人的な利益を追求するためのものではないのです。
	世界は全体のために存在し、人生は貢献のためにあるのです。
	それを個人的な利益のために追求してはなりません。
	それは、本来の目的とは遠く隔たるものであるからです。
	個性を大切にすることは重要です。
	人はそれぞれに個性を与えられています。
	個性を殺すことは許されません。
	それは、個性によってのみ、全体への貢献が実現するからです。
	しかし、個性を追求するあまり、個人的な利益に根差した行為に至ってはならないのです。
	人は、個性によって全体に対して貢献する必要があるのです。
	個性を殺して集うことは、全体への貢献とはなりません。
	すべての人の仕事が同じものであるのならば、人は豊かな人生を築くことはできないのです。
	違う仕事によって支え合っているために、人生は豊かなものとなるのです。
	大切なのは個性によって実現される全体への貢献であるということを覚えておきましょう。
	しかし、多くの人は人生を誤解しています。
	自分自身が幸福であれば良いと思い込んで(思い込まされて)いるのです。
	人が求めるものは幸福です。
	しかし、それは個人的なもののことではありません。
	幸福とは、自分自身をより深く知ることによって形を変えます。
	あなたが全体の中の一部であるということを理解すれば、個人的な利益の追求が幸福であるなどとは思えなくなるのです。
	そして、個人的な幸福というものが、全体への貢献であるということを理解するようになるのです。
	全体に貢献するためには、個性を生かす必要があるということも理解するでしょう。
	自分が自分らしくなければ、全体に貢献することは難しいのです。
	あなたは個人的な利益のために生きてはなりません。
	それは人生の豊かさにとっては、間違った道であるということを理解しなければならないのです。
	個人的な利益を追求する者がいます。
	そのような者は、因果の仕組みによって苦悩を得るということを覚えておきましょう。
	全体に貢献することが正しい道であり、自分自身に貢献することは正しい道であるとは言えません。
	そのため、個人的な利益を貪(むさぼ)る利己主義者は、その傲慢(ごうまん)な行いによって後に不利な立場を得るのです。
	”神”が個人的な利益を満たすことはありません。
	個人的な利益のために”神”が働くことは有り得ません。
	しかし、多くの者が個人的な利益のために”神”を利用しようとしています。
	ある者は自らを”神”とします。
	ある者は”神”の守護を宣伝します。
	ある者は”神”を個人的に利用しているのです。
	”神”が全体の一部に過ぎない個人のために働くと思いますか?
	祈れば救われると、本気で思っているのですか?
	あなたの願いが通じると信じているのですか?
	そのような自己中心的な愚者の頼みを”神”が聞き入れると思いますか?
	あなたは自己を反省しなければなりません。
	そして、自らが個人的な利益のために生きてはいないか?ということを考えなければならないのです。
	全体のために貢献しない者が、どうして全体によって救われるのでしょうか?
	他人を助けない者が、どうして誰かに助けられるでしょう?
	あなたは、利己的な者を助けることができますか?
	この世界には因果の仕組みが存在します。
	原因に相応しい結果を受けるのです。
	原因を持たなければ、結果を受けることはできません。
	個人的な利益のために働く者には、孤立という結果が導かれるのです。
	因果の仕組み(神)が人に同情するということはありません。
	気の毒に思って手を差し伸べることはないのです。
	原因に相応しい結果のみを導きます。
	この世界には、偶然も奇跡も存在しないのです。
	あなたが豊かな人生を求めているのであれば、個人的な利益を追求してはなりません。
	個性を生かし、全体に貢献するように努めましょう。
	小さなことで構わないのです。
	自分にできることを実行することが重要です。
	どのような理由があろうとも、”神”は個人的な利益のためには働かないということを覚えておきましょう。
	”神”の名を語る詐欺師を見極めなければなりません。
	そして、”神”の名を語る詐欺師となってはなりません。
	個人的な利益の追求に気を付けましょう。
	
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