人は成長を実現する必要があります。
すべての存在は成長することを求められているのです。
この世界において、変わらないものは存在しません。
すべてが流転し、変化を止めることはありません。
繰り返しているように思えるものであっても、変化を実現させながら繰り返しているのです。
あなたは成長のための変化を求められています。
人生におけるすべての時間、状況、労力は、成長のための変化に費やされています。
変化を否定することのできる者は存在しません。
変化を否定しようとも、変化しなければならないのです。
あなたは成長しなければなりませんが、成長するためには変化を受け入れなければなりません。
変化を受け入れることがなければ、成長は実現しないからです。
それは、季節が変わるように訪れます。
あなたの意思よりも大きな力が存在し、あなたを変化へと誘(さそ)うのです。
人生は初め、あなたを説得しようと試みます。
人生はあなたに話し掛け、話し合うことによって成長を実現しようと考えているのです。
しかしながら、人生の”声”は容易にはあなたの認識には触れることがありません。
それは、あなたが人生の”声”を理解するための度量を育んではいないからです。
人生は懸命に話し掛けていますが、あなたにはそれを聞き取ることができないのです。
それは、言語の異なる相手との意思疎通のように困難です。
話し掛けて理解することができなければ、違う手段に訴える以外に方法はありません。
それは体験という手段なのです。
人が犬と意思疎通を図る場合、話し合いでは解決しません。
それは、互いの言語が異なり、話し合いによる意思疎通が用意ではないからです。
人と犬では、言葉による意思疎通は実現しません。
そうなれば、言葉以外の方法である体験によって意思疎通を図る以外にはないのです。
実際に触れて意思疎通を図るのです。
言葉では意思疎通が実現しなくても、実際に触れて教えることによって意思疎通の実現の可能性は高まります。
これは、人生と人との関係も同じです。
一度聞かせて理解せず、自己を改めない者は二度聞かせても理解せず、自己を改めません。
それは、その方法では意思疎通が上手くいかないからです。
しかし、一度苦しんで理解せず、自己を改めない者も、二度苦しめば理解を深め、自己を改める可能性はあるのです。
苦しみとは、実践的な学びの結果として引き起こされる感情なのです。
苦しみという感情は、実践的な学びである体験によって導き出される成長のための貴重な材料なのです。
苦しみという材料がなければ、あなたが成長することはできないでしょう。
苦しみを避けて進もうとする人がいますが、苦しみを避けて進むのであれば、変化と成長の乏しい人生を生きることになるのです。
苦しみとは足場のようなものであり、それを乗り越えるのであれば、いち早く高く登ることができるのです。
苦しみを避けても成長することはできますが、それは緩やかな道を進むようなものです。
成長という高みを目指す時には、苦しみの道は垂直方向に進み、苦しみを避けて通る道は斜(なな)め方向に進むようなものなのです。
あなたに時間と労力の余裕があるのならば、苦しみを避けて進めば良いでしょう。
しかしながら、それは、退屈と不満の道となることを覚えておかなければなりません。
あなたが時間と労力に余裕を感じなければ、苦しみを乗り越えて進めば良いでしょう。
しかしながら、それは苦悩の道となることを覚えておかなければなりません。
どちらの道でも楽しみと苦しみを得られます。
違うのは”質”だけです。
高く登る程に、本質に近付くことができるため、何に対してもより強い実感を得ることができるでしょう。
淡い経験が、濃い経験へと変わります。
何事に対しても生きる実感が湧き、すべてが生命力に満ちるでしょう。
それは、輝きの増した世界です。
ただし、輝きが増せば影も増します。
あなたが成長する程に、すべての”質”が高まるのです。
そして、あなたはそれを幸福と呼ぶでしょう。
成長することがなければ、薄い人生を生きるようになります。
薄い人生とは、乏しい人生のことなのです。
輝きの乏しい世界では、影も乏しいのです。
あなたは実践的な学びに触れなければなりません。
実践的な学びには苦しみが付き物です。
あなたは苦しむ程に成長するでしょう。
苦しみを否定してはなりません。
苦しみを導く体験を大切にしましょう。