すべての人は、自分自身と向き合わなければなりません。
	それはあなたの内に存在し、あなたと共存しています。
	あなたの認識している自分自身とは自我意識です。
	自我とは、魂の汚れの集積です。
	多くの人は自我を自分自身だと考えていますが、残念ながらそれは自分自身ではありません。
	自我は経験と共に剥(は)がれ落ちる存在であり、あなたではないのです。
	人生における目的は成長です。
	それは、経験を重ねることによって自我を取り除く作業です。
	自我の解放こそが成長であり、人生の目的でもあるのです。
	そのため、自我と自分自身を同一視してはならないのです。
	自我はあなたを離れます。
	それは自分自身ではないからです。
	自我は魂の汚れの集積であるために、歪んだ感情を所有しています。
	それは、汚い言葉や行為を導きます。
	汚い言葉や行為とは、自他の良心を傷付けるものです。
	遅かれ早かれ嫌な気分になるものがそれです。
	多くの人は自我と自分自身を同一視しているために、汚い言葉や行為を自分自身のものであると思い込んでいます。
	しかしながら、それは自我の所有であって、自分自身の所有ではありません。
	あなたは歪んだ感情を抱えていることに気が付くはずです。
	それに気が付くということは、それを客観したということです。
	それを客観したということは、それを客観した主観があるのです。
	主観したのは誰でしょうか?
	何が歪んだ感情を見つめているのでしょう?
	それは、自我意識よりも、”少しだけ”自分自身に近付いた自我意識です。
	あなたは、無数の自我意識を所有しているのです。
	あなたは一人ではありません。
	それは、幾重にも連なっているのです。
	甲殻類などの生物が脱皮することによって古い殻(から)を捨てるように、あなたは古い自我意識を捨てるのです。
	古い自我意識を脱ぎ捨てた自我意識は、以前よりも成長しています。
	それは、”少しだけ”薄まった自我意識なのです。
	人生とは、自我意識との対峙です。
	あなたは歪んだ感情と向き合い、それを放棄し続けなければならないのです。
	あなたは常に客観を必要とします。
	あなたは常に自らの内に存在する歪んだ感情を見張り続けなければならないのです。
	多くの人は自我意識と自分自身を同一視しているために、もう一つの視点に気が付きません。
	それでは、古い価値観に縛られて生き続けることになるのです。
	古い価値観を手放さなければ、あなたは苦しみを受け取らなければなりません。
	古い価値観に執着して生きる必要などないのです。
	あなたに求められているのは、次々に価値観を改めることです。
	あなたの内には数え切れない程の自我意識が存在しています。
	あなたはそれを捨てましょう。
	そのためには、気付けば良いだけです。
	常に客観を意識していれば良いのです。
	自我意識をもう一人の自我意識が見つめていれば良いのです。
	その繰り返しです。
	感情の歪みに気が付き、それを手放しましょう。
	あなたは決して一人ではありません。
	そのように思い込んではなりません。
	現在の自我意識は、後に使い物にならなくなります。
	それは、未熟な意識であり、後には役に立たないからです。
	現在のあなたの理想は、現在のあなたの自我意識の抱える理想です。
	そのため、その理想は歪んでいます。
	そのようなものが実現する必要はありません。
	多くの人は自我意識に従って理想を実現しようと躍起(やっき)になります。
	しかしながら、それが実現しなくても良いのです。
	あなたの目的は自分自身と向き合うことです。
	それは、自我意識と向き合うことなのです。
	自我意識と向き合うということは、それを放棄するということです。
	そのため、理想はいつか必ず放棄しなければならないのです。
	理想にいつまでも執着してはなりません。
	それは、現在の自我意識に付属している副産物に過ぎません。
	理想には価値が無いということを悟りましょう。
	自分自身と向き合いましょう。
	それはどのような状況であっても可能なのです。
	
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