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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2016年10月7日金曜日

柔らかな雨粒と硬い地層

この人生において、あなたは自らの抱える不安と闘わなければなりません。
これは、不安との争いではありません。
これは、自らの内に潜む不安を癒す闘いなのです。
不安は恐れています。
それは、巧妙に姿を隠します。
それは、あなたの呼び掛けに応じることなく、逃げ続けるのです。
不安は、自らが明るみになるのを嫌います。
不安は、暗闇の中で自らを守りたいと考えているのです。
不安とは、部屋で独り不貞腐れている子どものようなものです。
それは簡単には呼び掛けに応じません。
あなたも、不貞腐れた経験があるでしょう。
その状態が続いているのです。
そのような”面倒”な感情を抱えているのです。
子どもが不貞腐れているのは、愛を感じることができないからです。
子どもが不貞腐れるのは、否定されたからではありません。
それが親のための否定であったからです。
子どもは、自分のための行為を求めているのです。
不安のための行為は、不安を癒すのです。
しかしながら、多くの人は不安を癒すことをしません。
多くの人は不安を迷惑に感じ、自分のために否定しようとするのです。
そのため、不安は恐怖を増幅させ、より深くへと隠れるのです。
恐れを抱く子どもを部屋の外へ導くことはできません。
不安の抱える恐怖を理解し、それを認めなければならないのです。
あなたは、不安を抱えています。
それが、恐怖から導かれる感情であるということを理解しましょう。
そして、それを癒さなければならないということを知るのです。
あなたは本気で向き合わなければなりません。
不安は簡単には癒すことができません。
それは、大樹のように深く大地に根を張っているからです。
大樹は深く根を伸ばし、硬い地層に根差しています。
そのため、簡単には引き抜くことはできません。
しかしながら、それがどのような大樹であろうとも、土が柔らかければ簡単に引き抜くことができるのです。
雨が続き、地盤が緩めば、大樹も山肌を滑り落ちるのです。
あなたは、自らの抱える不安に向き合い続ける必要があります。
あなたが不安を理解する程に、その地盤が緩みます。
そして、いつの日か不安を引き抜くことができるのです。
しかしながら、不安に向き合うことを恐れているのであれば、地盤が緩むことはありません。
多くの人は、不安に向き合うことを恐れるが余り、斧(おの)や鋸(のこぎり)を持ち出して大樹を切り倒すのです。
その方法は簡単に大樹を倒し、視界から取り除くことができます。
しかしながら、根はそのままに残っているために、すぐに成長し、再び視界に入るようになるのです。
形が変わっただけで、本質は変わりないのです。
根を引き抜かなければ、あなたは再び同じ不安に苛(さいな)まれることになるのです。
大切なのは、本質を解決するということです。
多くの人は不安を恐れるが余り、他人や状況や環境に依存することによって不安を遠ざけます。
家族、友人、恋人、子ども、他人、集団、仕事、財産、趣味、場所・・・
何かに依存することによって不安を忘れることができます。
しかしながら、それは一時の快楽によって不安から目を逸らすだけに過ぎません。
依存対象が自らを離れれば、再び不安があなたを抱くのです。
小さな火の粉が山を焼きます。
一粒の種子が山を緑で覆います。
小さな力を侮ってはなりません。
あなたは不安に向き合える程に向き合わなければなりません。
それが小さなアプローチでも良いのです。
あなたは自らの心に耳を傾けて、少しでも不安の声を聞きましょう。
それも、自分のためにではありません。
不安のために耳を傾けるのです。
柔らかな雨粒が硬い地層を砕くということを覚えておきましょう。

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