この人生において、あなたは自らの抱える不安と闘わなければなりません。
これは、不安との争いではありません。
これは、自らの内に潜む不安を癒す闘いなのです。
不安は恐れています。
それは、巧妙に姿を隠します。
それは、あなたの呼び掛けに応じることなく、逃げ続けるのです。
不安は、自らが明るみになるのを嫌います。
不安は、暗闇の中で自らを守りたいと考えているのです。
不安とは、部屋で独り不貞腐れている子どものようなものです。
それは簡単には呼び掛けに応じません。
あなたも、不貞腐れた経験があるでしょう。
その状態が続いているのです。
そのような”面倒”な感情を抱えているのです。
子どもが不貞腐れているのは、愛を感じることができないからです。
子どもが不貞腐れるのは、否定されたからではありません。
それが親のための否定であったからです。
子どもは、自分のための行為を求めているのです。
不安のための行為は、不安を癒すのです。
しかしながら、多くの人は不安を癒すことをしません。
多くの人は不安を迷惑に感じ、自分のために否定しようとするのです。
そのため、不安は恐怖を増幅させ、より深くへと隠れるのです。
恐れを抱く子どもを部屋の外へ導くことはできません。
不安の抱える恐怖を理解し、それを認めなければならないのです。
あなたは、不安を抱えています。
それが、恐怖から導かれる感情であるということを理解しましょう。
そして、それを癒さなければならないということを知るのです。
あなたは本気で向き合わなければなりません。
不安は簡単には癒すことができません。
それは、大樹のように深く大地に根を張っているからです。
大樹は深く根を伸ばし、硬い地層に根差しています。
そのため、簡単には引き抜くことはできません。
しかしながら、それがどのような大樹であろうとも、土が柔らかければ簡単に引き抜くことができるのです。
雨が続き、地盤が緩めば、大樹も山肌を滑り落ちるのです。
あなたは、自らの抱える不安に向き合い続ける必要があります。
あなたが不安を理解する程に、その地盤が緩みます。
そして、いつの日か不安を引き抜くことができるのです。
しかしながら、不安に向き合うことを恐れているのであれば、地盤が緩むことはありません。
多くの人は、不安に向き合うことを恐れるが余り、斧(おの)や鋸(のこぎり)を持ち出して大樹を切り倒すのです。
その方法は簡単に大樹を倒し、視界から取り除くことができます。
しかしながら、根はそのままに残っているために、すぐに成長し、再び視界に入るようになるのです。
形が変わっただけで、本質は変わりないのです。
根を引き抜かなければ、あなたは再び同じ不安に苛(さいな)まれることになるのです。
大切なのは、本質を解決するということです。
多くの人は不安を恐れるが余り、他人や状況や環境に依存することによって不安を遠ざけます。
家族、友人、恋人、子ども、他人、集団、仕事、財産、趣味、場所・・・
何かに依存することによって不安を忘れることができます。
しかしながら、それは一時の快楽によって不安から目を逸らすだけに過ぎません。
依存対象が自らを離れれば、再び不安があなたを抱くのです。
小さな火の粉が山を焼きます。
一粒の種子が山を緑で覆います。
小さな力を侮ってはなりません。
あなたは不安に向き合える程に向き合わなければなりません。
それが小さなアプローチでも良いのです。
あなたは自らの心に耳を傾けて、少しでも不安の声を聞きましょう。
それも、自分のためにではありません。
不安のために耳を傾けるのです。
柔らかな雨粒が硬い地層を砕くということを覚えておきましょう。
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