あなたは、自らの道を進まなければなりません。
あなたが自らの道を進もうとする時には、孤独が付き添います。
どのような人物であろうとも、自らの道を進もうとする時には、孤独が伴侶(はんりょ)として同行するのです。
孤独を迎え入れずに、自らの道を進むことはできません。
それは、伴侶を他人(の意識)としてしまうからです。
他人を伴侶とすれば、他人との方向性の違いによって道を進むことができません。
他人の道を進むことは、自らの道を遠ざけることになります。
互いに譲らず、引き合うことによって力が相殺(そうさい)されるのであれば、その場に立ち止まっている他ありません。
どちらにしても、他人を伴うことによっては、自らの道を進むことはできないのです。
人には、それぞれに与えられた役割と、辿り着かなければならない目的地があります。
無意識的にも、すべての人がそれ等を求めています。
最終的には、すべての人が自らの道を進み、与えられた役割を果たして目的地へと辿り着かなければならないのです。
人の行き着くところは孤独です。
孤独に至ることによって”自分”となり、無数の”自分”が集うことによって一つとなるのです。
”自分”で無い者は、一つとなることができません。
自らの道を進むこともなく、他人の道を進む者は、”自分”にはなれないのです。
それは、与えられた役割と辿り着かなければならない目的地を放棄することを意味しているのです。
他人のために、自らの道を進まない者は後悔します。
多くの人は他人の意識下で生きています。
他人の指示に従い、他人と共に道を進もうとしているのです。
それは、その方が楽であるからです。
ただ、それだけの理由です。
多くの人は自らの道を進むことを恐れています。
それは、苦しいからです。
他人と共に、他人の道を進み、自らの道に向き合わなければ苦しむこともないのです。
そのため、多くの人が自らの道を進もうとは考えません。
例えば、常識的な価値観に従って人生を選択し、構築します。
社会が認める人間としての合理的な生き方をするのです。
他人と共に道を進もうとする者にとっては、それが幸福の形なのです。
常識的な価値観に従い、人間としての合理的な生き方をしたとしても、与えられた役割と辿り着かなければならない目的地を果たすことはできません。
なぜなら、それは”自分”では無いからです。
多くの人は、”他人”としての人生を生きているのです。
しかしながら、そのことには気が付きません。
他人の認める価値を、”自分”の価値として認めているのです。
あなたは欲しくないものを欲し、購入する必要の無いものを購入し、言う必要の無いことを言い、行う必要の無いことを行い、信じる必要の無いものを信じるのです。
あなたにとって、本当にそれが必要なのですか?
それは、あなたの進むべき道なのですか?
人生には無駄が多過ぎるのです。
この世界には無駄はありません。
しかしながら、あなたの選択には無駄が多いのです。
それは、道を遠回りさせ、あなたの時間と労力を奪うでしょう。
生き方としてはそれでも良いのですが、後悔は大きなものになるということを覚えておきましょう。
他人として生きることは、一時の安心と満足を導いてくれます。
しかしながら、他人の道で得られるものは、そのすべてが幻想に過ぎません。
そのため、後にそれ等には価値が無いということに気が付くのです。
他人として生きる人の特徴は、真面目であることです。
設けられた柵の中で生活する犬と同じなのです。
犬は主人の定めたルールの中で生きています。
主人は見えない柵によって、犬を囲っているのです。
犬はそれを幸福だと思い込みますが、あなたは犬ではありません。
あなたには、それを幸福だと思い込むことができないのです。
幾らかの知恵が付けば、見えない柵が見えるようになります。
そうすれば、あなたは主人に反発するようになるでしょう。
今まではそこで甘えていたにも関わらずに、あなたはそうするのです。
それは、あなたの中の”自分”が訴えるからです。
自らの道を進まなければならないのです。
他人として生きることは楽ですが、それでは大切なものを失います。
”自分”として生きることは苦しいですが、大切なものを得ることができるでしょう。
どのように生きても構いません。
それはあなたの自由です。
ただし、後悔しないように生きましょう。
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