人は誰もが争いに興じます。
	すべての人が争わずにはいられません。
	誰もが、争いを楽しんでいるのです。
	楽しんでいるためにやめられないのです。
	争いとは、人が通過しなければならない過程です。
	すべての人が争わなければならないのです。
	あなたが争いを避けることはできません。
	どのように努めようとも、あなたは誰かや何かと争わなければならないのです。
	争いを食い止めることはできません。
	自分自身の争いも、他人の争いも食い止めることはできないのです。
	人は争って良いのです。
	人にとって、争いは楽しいからです。
	それは、人の心に与えられた娯楽です。
	ただし、争いを推奨(すいしょう)しているのではありません。
	争わずに済むのであれば、争わない方が良いのです。
	しかしながら、それは不可能なのです。
	なぜなら、心がそれを求めているからです。
	争いが楽しいのではなく、争うことによって得られる結果を楽しんでいるのです。
	しかしながら、多くの人はそのことを理解することなく争います。
	争いを嫌っていますが争っています。
	争っているということは、それを楽しんでいるということなのです。
	あなたには、争いを絶つ力はありません。
	そのため、争わなければならないのです。
	あなたが何を始めても、争いが生じるでしょう。
	争いの生じない道はありません。
	争いを覚悟しなければなりません。
	争いのためには敵が必要です。
	そのため、あなたは必ず敵と会います。
	敵はどの道にも必ず存在し、あなたの妨げとなるでしょう。
	敵とは、あなたにとっての敵です。
	他者にとって、それは敵ではありません。
	あなただけの敵であるということを理解する必要があるでしょう。
	それは、あなたが敵を作り出しているということの証明です。
	敵がいたのではありません。
	あなたが”彼”を敵としたのです。
	人が争わなければならないのは、心に内在する矛盾を解消するためです。
	すべての心には矛盾が内在しているのです。
	心に矛盾を抱えない人は存在しません。
	なぜなら、その矛盾を解消するための人生であるからです。
	あなたは、敵が内部矛盾によって生じるということを覚えておきましょう。
	心に矛盾が存在しなければ、外に敵は存在しません。
	例えば、あなたが何かに苦しんでいる時には、外には多くの敵が現れます。
	あなたの感情が波打っている時、あなたは何に対しても気に食わない態度を示すのです。
	あなたの感情が安らいでいる時には、何に対しても寛容(かんよう)であることができます。
	そのような人には敵がいないのです。
	苦しみを感じるということは、世界に矛盾しています。
	なぜなら、すべての過去が最善であるということに気が付くからです。
	この世界は、喜びを以て感謝することはできても、苦しみを以て憎むことはできないのです。
	そのような場所です。
	あなたは常に最善を与えられているのです。
	最善を与えられているにもかかわらず、それを否定するのであれば、矛盾しているということなのです。
	あなたの内部矛盾が世界を歪めます。
	あなたは争いによって相手を打ち負かすことを喜んではなりません。
	それも一つの矛盾の形だからです。
	争いによって内部矛盾を認識し、それを改めることに喜びを覚えましょう。
	自己の成長を以て喜びとしなければなりません。
	それ以外の喜びには、矛盾が付き従うということを覚えておきましょう。
	
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