人生とは、それぞれの道のりです。
	すべての人が、独自の道を行くのです。
	誰一人として、他者と共に歩むことはできません。
	あなたは独りで歩まなければなりません。
	親だろうと、子どもであろうと、親友であろうとも、あなたたと共に歩むことはできないのです。
	人の間には乗り越えられない”壁”が存在しています。
	あなたが他人の人生を歩むことはできず、他人があなたの人生を歩むことはできません。
	それぞれが自分の人生を生きる以外に方法はないということを知る必要があるのです。
	しかしながら、多くの人は自分と他者を同一視します。
	そして、自分の人生に他人を引き込めると信じ込み、自分が他人の人生に介入(かいにゅう)できると思い込んでいるのです。
	しかしながら、あなたがどれだけ望んでも、それは実現しないのです。
	あなたが歩んでいるのはあなたの人生であり、他者が歩んでいるのは他者の人生なのです。
	それ以上でも、それ以下でもありません。
	そこには乗り越えられない”壁”が存在しているということを忘れてはなりません。
	あなたは自分と他者を同一視することをやめましょう。
	あなたである他者は存在しません。
	あなたは自分と他者を別の存在として認識しなければならないのです。
	そうでなければ、依存の関係が導かれ、それぞれの道が破綻(はたん)するでしょう。
	あなたは他者を連れて自分の人生を歩もうと考えてはなりません。
	他者の人生に同行しようとも考えてはならないのです。
	できないことはできないのです。
	それは、あなたが鳥のように大空を舞い、魚のように水中に潜(ひそ)み、蛇のように地を這(は)い、風雨に晒(さら)される生き方ができないのと同じです。
	できないことはできなのです。
	あなたは独りで歩まなければなりません。
	これを酷(こく)と考えてはなりません。
	それは、あなたが人生を始めた瞬間から決まっていたことなのです。
	あなたは振り返らずに歩まなければなりません。
	また、先の道を思い煩(わずら)ってはなりません。
	目の前の道を踏み締めて歩むのです。
	自分と他者を別の存在として俯瞰(ふかん)しましょう。
	あなたが自分の道を歩もうとする時、そこには自分と同一視した他者の存在があります。
	あなたは如何なる他者とも共に歩むことはできませんが、孤独に耐えることができずに他者を引き込もうとするでしょう。
	そして、自らの掲げる思想を宣伝するのです。
	それは、できるだけ多くの人の共感と理解を欲しているからです。
	それは、仲間を求めているからです。
	孤独に耐えることができない者は、仲間という名の依存関係を求めて自他の人生を乱します。
	あなたは独りで歩めば良いのです。
	それぞれが独自の道を歩むのです。
	無理に仲間を作る必要はないのです。
	他人に理解されようが、理解されまいが、あなたの人生には関係のないことなのです。
	そのことを理解しておかなければなりません。
	理解しようとしない者を説得する必要はないのです。
	理解しようとしない者を説得する行為は時間と労力の浪費です。
	それは、成果を結びません。
	理解しようとする者に説明することは必要ですが、理解しようとしない者を説得する必要はないのです。
	それぞれが独自の人生を生きれば良いのです。
	とどまりたい者は置いて進めば良いのです。
	とどまりたい者を引き摺(ず)って歩もうとするのは愚行(ぐこう)なのです。
	人は自分の気に入った世界に生きています。
	気に入った世界に生きている間は、別の世界を気に掛けることはないのです。
	自らの所有しているものが至高だと思い込んでいるのです。
	それを手放すことはないのです。
	そこから無理に引き離してはならないでしょう。
	あなたには目的があるのです。
	それは、自分の人生の完成です。
	そのためには、他者を誘い入れる”暇”はないのです。
	あなたの思想に共感した他者は、他者の人生をそのように生きれば良いのです。
	あなたの思想に共感したからといって、あなたの人生を共に歩むことはできないのです。
	あなたが他者の思想に共感したからといって、他者の人生に介入しようとしてはなりません。
	それぞれが独自の道を進むのです。
	そのために、素晴らしい思想を受け入れることは許されます。
	しかしながら、他者の人生を生きることは許されません。
	あなたはあなたの人生を生きるのです。
	他者に自分を投影することをやめましょう。
	それぞれの道を歩みましょう。
	
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