幸福とは何でしょうか?
	あなたは幸福について深く考えたことがあるでしょうか?
	あなたが幸福だと思っているものは、あなたにとっての真の幸福なのでしょうか?
	あなたは深く考えなければなりません。
	多くの人は深く考えることをしません。
	そのように感じるという理由によって、それを幸福と決め付けているのです。
	しかしながら、感じ方は日々変化しています。
	昨日と今日のあなたでは、感じ方は違います。
	今日と明日のあなたでも感じ方は違うのです。
	一年後、十年後、三十年後、五十年後・・・
	時間の経過によって価値観は大きく変わります。
	そうなれば、現在の幸福を感じる対象は幸福ではなくなってしまうのです。
	そのため、あなたが現在幸福だと思っているものは、真の幸福であるとは言えないのです。
	あなたが現在、幸福だと思っているそれは、役割に付属した幸福です。
	あなたは役割を通じて、幸福を感じていることでしょう。
	例えば、男や女としての役割を通じての幸福。
	父親や母親としての役割を通じての幸福。
	親や子としての役割を通じての幸福。
	仕事という役割を通じての幸福。
	多くの人が役割に付属した幸福を幸福だと思っているのです。
	そのため、役割を失ったのであれば、幸福も失うことになるのです。
	多くの人が絶望に出会います。
	幸福を見失うのは、役割を見失っているからです。
	やりたいことがあれば、一時は幸福感を味わうことができます。
	夢や目的などが一時の幸福を導くのです。
	しかしながら、その夢や目的を達成したのであれば、幸福も達成することになり、目の前から消え去ってしまうのです。
	夢や目的を達成したのであれば、再び夢や目的を掲げて目指すか、目標を失って絶望するか?ということになるのです。
	人生に夢や目的を持たず、絶望を抱えて生きるよりは、何かしらの夢や目的に対して幸福感を味わう方が優れているでしょうが、それでも絶望の遅延に過ぎないのです。
	役割を通じての幸福に依存しているのであれば、絶望は避けられないのです。
	あなたが人の親であるとして、親という役割に付属した幸福に依存しているのであれば、子が親離れをした途端に幸福は崩れ去ります。
	子が親の命令に従わず、思い通りにいかなくなれば、絶望か恨みを抱えることになるでしょう。
	それは、仕事でも性別でも同じことです。
	その仕事が続けられなくなる時がやってきます。
	性の喜びもやがては枯れるのです。
	その時には絶望し、恨みを抱くでしょう。
	そのようなものが幸福なのでしょうか?
	大切なのは、あなたが生まれた意味です。
	あなたは役割を果たすために生まれたのでしょうか?
	役割とは、経験を得るための”場所”に過ぎないのです。
	その役割を失っても、あなたには生まれた意味が残るのです。
	あなたにとっての真の幸福とは、生まれた意味に付属しているのです。
	あなたが生まれた意味は、成長することです。
	成長することに生まれた意味があるのです。
	そのため、あなたは成長することに幸福を見出す必要があるのです。
	そうすれば、あなたが絶望や恨みを抱くことはありません。
	役割を失ったとしても、幸福を失うことはないのです。
	それは、役割を失ったとしても成長することができるからです。
	あなたが人の親であり、子を失ったとしても、成長には何の関係も無いのです。
	仕事を失い、性差を失ったとしても、成長には何の関係も無いのです。
	幼子から老人に至るまで、真の幸福の形はすべての人に通用するものなのです。
	年齢や性別や立場によって違いがあるようなものではないのです。
	あなたが感じている幸福は、五十年後にも変わらずに存在するでしょうか?
	それが役割に付属する幸福であるのならば、五十年後には失っていることでしょう。
	幸福とは何でしょうか?
	あなたは深く考えなければなりません。
	
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