すべての存在は、この世界に貢献することを求められています。
	どのような存在であろうとも、何等かの形でこの世界に貢献することが求められているのです。
	すべての存在は、自らの状態に合わせて貢献すれば良いのです。
	水は水として貢献すれば良いのです。
	風は風として、石は石として、樹木は樹木として、人は人として、あなたはあなたとして貢献すれば良いのです。
	すべての存在が、貢献することができます。
	そして、すべての存在が貢献しているのです。
	しかしながら、人には特権が与えられています。
	それは、意思によって貢献度を高めることができるということです。
	人は自らの意思によってより貢献することも、貢献を拒否することもできるのです。
	あなたは自分の意思によって、どれほどの貢献を世界に与えるのかを決めることができるのです。
	人に特権が与えられている理由は力があるからです。
	ただ、それだけの理由です。
	力を持つ者には、その動向が試されるのです。
	あなたは力を与えられているのです。
	その力をどのように使おうとも、それはあなたの自由です。
	あなたは自らの力を小さなものと考えてはなりません。
	あなたの力は、あなたが考えるよりも大きなものであり、世界に対しては、多大なる影響力を持っているのです。
	あなたの一言によって、誰かが勇気を持つかも知れません。
	あなたの何気ない行いによって、誰かの命が救われるかも知れないのです。
	あなたの人生が、人類を成長させ、自然界を手助けするかも知れないのです。
	あなたはこの世界に参加しているのです。
	誰かが変えるのではありません。
	誰かがやるのではないのです。
	あなたが変えるのです。
	そして、あなたがやるのです。
	あなたは自分の力を信じなければなりません。
	あなたがどのような立場にあろうとも、あなたには大きな力があるのです。
	そのことを忘れてしまう者は不義を働くようになるのです。
	不義を働く親であれば、子どもは不義を権利であると考えてしまうのです。
	子どもはその子どもにそれを伝えるでしょう。
	それは、後に世界を変えるのです。
	義を行う親に育てられた子どもは、義を働くようになります。
	義を働く子どもは、その子どもに義を教えるのです。
	それは、後に世界を変えるのです。
	あなたの行為が世界を変えます。
	これは妄想などではないのです。
	あなたという存在は、実際に誰かを変える影響力となるのです。
	最終的な決定権は相手にあるにしても、可能性を示すことになるのです。
	どのように生きることが世界に貢献するのかを考えましょう。
	あなたは世界に貢献することができます。
	今、自分ができることをすれば良いのです。
	ただ、それだけで世界に貢献することになります。
	飛ぶことができれば飛べば良いのです。
	飛べなくなれば、走れば良いのです。
	走れなくなれば、歩けば良いのです。
	歩けなくなれば、這(は)えば良いのです。
	這うことができなくなれば、言葉を吐けば良いのです。
	言葉を吐けなくなれば、姿を見せれば良いのです。
	どのような状態であろうとも、できることはあるのです。
	貢献の形は変わるのです。
	できることを放棄して、貢献から逃げてはなりません。
	この世界においては、言い訳はなんの価値も持ちません。
	言い訳は、幸福の要因とはならないのです。
	できることをしない者には、幸福は導かれないのです。
	どのような形であろうとも、あなたは世界のために貢献しましょう。
	実践の中に生きるのです。
	言い訳は必要ありません。
	
0 件のコメント:
コメントを投稿