あなたは自分自身を学んでいます。
	すべての状況は自分自身を理解するために導かれる学びです。
	あなたはすべての状況に映し出される自分自身と対峙しなければならないのです。
	ここでいう自分自身とは、あなたが自分自身だと思い込んでいる自我のことです。
	あなたが”わたし”と呼び、思考や感情を司る存在です。
	あなたはそれと向き合わなければならないのです。
	自我とは、魂の汚れの集積です。
	それをあなたは自分自身だと思い込んでいます。
	あなたが”わたし”と呼んでいるのはあなたの弱さです。
	思考し、思い煩(わずら)っている(幸、不幸を感じている状態)のは、あなたの歪みなのです。
	人生を行っているのはあなたではありません。
	あなたが自分自身だと思い込んでいる”わたし”が、人生を行っているのです。
	あなたが選択しているのではありません。
	あなたは自我の不足を満たすための選択を傍観(ぼうかん)しているに過ぎません。
	あなたは自分で人生を選択していると考えているかも知れませんが、それを選択しているのは自我であるのです。
	それは、あなたが怒りや不安を抱えることから知ることができます。
	どのような状況に対しても、それに怒りや不安を覚えるということは、その意味を歪めて解釈していることの証明です。
	状況に対して、その意味を正しく理解するのであれば、人が怒りや不安に訴(うった)えるということはないのです。
	状況を正しく理解するのであれば、そこには必ず満足が導かれます。
	汚れであり、歪みである自我によって解釈しているために、怒りや不安などのネガティブな感情が導かれるのです。
	怒りや不安が悪いというのではありません。
	適切に用いられないことによって苦しむのは誤解であるということです。
	怒りや不安によってあなたが喜ぶのであれば正しい理解が導かれているでしょう。
	例えば、自分の不甲斐なさに怒りを覚えて改善することや、不安を感じて一層の努力を重ねるなど、喜びのための選択であるのならば良いでしょう。
	しかしながら、多くの場合、人は解釈を誤解しているために苦しむのです。
	あなたは苦しむ必要があるために苦しんでいますが、いつまでも苦しんでいる訳にもいきません。
	あなたは苦しみを喜びに変える努力を始めなければならないのです。
	あなたはすべての状況から、自分自身(自我)を学んでいるということを理解しましょう。
	それは、汚れを学ぶことなのです。
	汚れを学んでいるのだから、苦しむのが当然です。
	苦しむことは悪いことではないのです。
	苦しむことによって自我を理解することは、それを許すことや癒すことに繋がります。
	理解が深まらなければ受け入れることができないのです。
	あなた(自我)は理解することができないものを受け入れることはできません。
	そして、許すことも癒すこともできないのです。
	そこに導かれるのは拒絶と争いです。
	その結果として苦しんでいるのです。
	しかしながら、そのことには気が付けないでしょう。
	あなたは苦しみの中にあって、自我を理解するように努めなければならないのです。
	そうすることによって、汚れを解放することができるでしょう。
	自我はすべての状況に反映されます。
	あなたの置かれている状況のすべてに、あなたの自我が反映されるのです。
	あなたが対峙しているすべてが、あなたの抱える自我であるということを理解する必要があるでしょう。
	しかしながら、あなたにはそのことが理解できません。
	それは、自我が真実を覆い隠すからです。
	自我は恐れています。
	あなたに発見され、解放されることを恐れているのです。
	それは、あなたが”所属”を離れることを恐れているのと同じです。
	あなたが孤独を恐れ、”所属”を離れることを恐れるのは、自我の反映そのものであるからです。
	自我が恐れているために、あなた(自我)が恐れているのです。
	あなたの考えている自分自身とは自我であるために、これを説得し、乗り越えることは簡単ではありません。
	それは、余りにも長く一緒に生活したからです。
	そこには情が芽生えているのです。
	あなたは自らの抱える弱さ(自我)に同情することでしょう。
	それは弱さを助長する行為です。
	あなたが苦しんでいるのは自我が原因です。
	満足したければ、自我を解放しましょう。
	
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