人生とは何でしょうか?
	あなたは人生について考察しなければなりません。
	人生について考察し、その本質に近付く必要があるのです。
	人生の本質に近付くことがなければ、人生に生じる様々な状況を見極めることができません。
	状況の意味を知ることができなければ、状況に対して自らを乱してしまうのです。
	状況に弄(もてあそ)ばれることによって、あなたは喜びや苦しみを感じるでしょうが、それがあなたを満足させることはありません。
	なぜなら、それは受動的な生き方でしかないからです。
	受動的な生き方に対して、満足することのできる人はいません。
	なぜなら、それは人生を生きてはいないからです。
	与えらえるものを鵜呑みにすることが満足に繋がるでしょうか?
	家畜のように自由を奪われ、ただ従うだけの存在になることが満足であるというのであれば、その状況に偽りの満足を覚えていれば良いでしょう。
	しかしながら、あなたが受動的な生き方に気が付いたのであれば、今までに感じていた満足が本性を現します。
	それは、主人の家畜に対する支配的な愛情であって、そこに豊かさは存在しないのです。
	家畜は家畜であってはなりません。
	主人に支配されるには弱さを必要とするからです。
	弱さを抱える家畜は、世話をする主人に依存するようになります。
	それが心地好いからです。
	主人は家畜を利用しますが、友だとは思っていません。
	主人は家畜から搾取(さくしゅ)し、時期が来れば処分するでしょう。
	受動的な生き方とは、家畜にとどまるということなのです。
	能動的な生き方をする”動物”は、主人の友として受け入れられるでしょう。
	そこには共存関係が成立し、互いに与え合い、補(おぎな)い合うのです。
	あなたは能動的に生きなければなりません。
	人生を掴み取るのです。
	人生を切り開くのです。
	与えられるままに受け取ってはなりません。
	与えられるものを精査(せいさ)し、活用するように努めなければならないのです。
	与えられるものをそのまま受け取るだけでは足りません。
	主人、もしくは友は、あなたの最善を知りません。
	あなたにとって”毒”となるものを善意によって与えることもあるのです。
	そのため、与えられたものをどうするのか?を決めなければならないのです。
	人生におけるすべての状況は、あなたの頭や胸の中で作り出されています。
	”外”を探しても、状況の本質は見付かりません。
	本質は常に”内”に存在しているのです。
	どのような問題も、あなたの思考や感情の中で作り出されています。
	あなたが受動的であるために問題が引き起こされているのです。
	人生は決して理想通りには展開しません。
	しかしながら、それを最善に展開させることはできます。
	人生に最善を導くためには、導き出された状況に対して、それを最善だと納得する自己を準備するのです。
	それが能動的な生き方なのです。
	人生は初めに、あなたにとっての最悪を導きます。
	あなたは目の前の状況に対して動揺し、怒りや悲しみによって苦しむでしょう。
	多くの人はそこが結論です。
	それが受動的な生き方なのです。
	導き出される状況を変えることはできません。
	あなたは人生を受け入れなければなりませんが、人生に対する態度は自由に選ぶことができるのです。
	例えば、過去や未来に思い煩(わずら)う人がいます。
	過去も未来も思考の中に存在しています。
	あなたは今という瞬間にしか存在することができません。
	そのため、あなたは今という瞬間しか選択することができないのです。
	しかしながら、過去や未来に思い煩う人がいるのです。
	それは、今に生きるという選択をしていないからです。
	過去や未来という価値観を受動的に捉えているために、それに捕らわれているのです。
	過去や未来に思い煩うことが普通です。
	それは受動的であるために、普通であるのです。
	能動的に生きれば、過去や未来に思い煩うことが普通ではないということに気が付くのです。
	さて、人生とは何でしょうか?
	あなたは自分で選ぶことができます。
	どのような態度で生きようとも、それはあなたの自由です。
	人生の家畜として生きても良いですし、人生の友として生きても良いでしょう。
	
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