すべての人は、人生に対して目的を抱えています。
すべての人が、必要な役割を担い、役割を果たすことを使命としているのです。
誰もが目的を抱えていますが、多くの場合、それを忘れています。
目的を忘れて生きることによって、人は苦悩するのです。
苦悩する人は目的を見失っています。
あなたが苦悩しているのであれば、人生の目的を見失っているということを知りましょう。
それだけで、苦悩は幾らか軽くなるでしょう。
しかしながら、人生の目的を見出すまでは苦悩は続くのです。
そのため、あなたは常に人生の目的を見出す努力を続けなければなりません。
人生の目的は一つではありません。
それは複数あって、それは段階的です。
一つの目的を果たせば、次の目的が生じます。
その目的を果たせば、新たな目的が生じるのです。
人生の目的が尽きることはありません。
あなたは常に新しい目的に対して挑戦し続けなければならないということを覚えておきましょう。
人生の目的を見失っている者であっても、人生に目的が存在しているということは潜在的に知っています。
それが明確な形では分からないにしても、何かしらの感情によって知ることができるのです。
苦悩という感情の形状も、人生に目的が存在しているということを知るための一つの形です。
人生は常に、あなたに対して人生の目的を思い出させるように働き掛けているのです。
あなたが求めているのは、自らの人生の目的です。
あなたは人生の目的を果たしたいと思っているのです。
しかしながら、それを明確な形では知りません。
そのため、その感情は歪んだ形として心に生じます。
それが、何かに対する欲求に向かうのです。
すべての人は何かを求めています。
それが本当に必要であるか?と問えば、必要ではないものであっても、それを求めているのです。
それは、本当に求めているものに対する歪んだ感情です。
本当に求めているものが他にあるにも関わらず、それを得ることができないために、他で代用しているのです。
あなたが求めているそれは、本当に求めているものなのでしょうか?
あなたが本当に求めているのは、人生の目的であるはずです。
例えば、多くの人が金持ちになりたいと思っています。
あなたもその一人かも知れません。
しかしながら、本当に金持ちになりたいのでしょうか?
これは、他のことでも構いません。
漁師になりたい、医者になりたい、演者になりたい、農夫になりたい・・・
結婚したい、子どもが欲しい、大きな家が欲しい、定年まで同じ仕事を続けたい、多くの友人が欲しい、有名になりたい・・・
どのような欲求でも構いません。
多くの人は自分自身の人生の目的を見失っています。
人生の目的を見失っている人が求めているものは、本当にその人を満たすのでしょうか?
あなたにとっての豊かな人生とはどのようなものなのでしょうか?
多くの人は感情を誤用しています。
極論を言えば、どのような人生でも良いのです。
どのような職に就き、どのような人と暮らし、どのような時間を過ごし、どのような死を迎えようとも構わないのです。
そのようなディテールが重要なのではないのです。
どのような人生であろうとも、自らの目的を果たすことができれば良いはずです。
就きたい職に就くことが、必ずしも幸福なのではありません。
意中の人と暮らすことが必ずしも幸福なのではありません。
思い通りの時間を過ごし、思い通りの死を迎えることが必ずしも幸福なのではありません。
これは、あなたに人生を諦めろと言っているのではありません。
これは、あなたを弱くするための言葉ではないのです。
人生の”装飾”に魅了されて、目的を見失ってはならないということなのです。
大切なのは人生を飾ることではないのです。
人生の目的を果たすことが重要なのです。
あなたが求めているものは、あなたが本当に求めているものではないかも知れません。
あなたは自らの心であっても疑わなければなりません。
人は後悔するものを求めます。
後悔は先には立ちませんが、後悔するようなものが目的ではないのです。
ただし、後悔が悪いということを言っているのではありません。
すべての人が後悔します。
後悔とは感情の誤用の結果であり、進むべき道ではなかったという証明です。
次からは他の方法を用いれば良いだけなのです。
他を欲すれば良いのです。
本当に欲しているものを見極めましょう。
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