あなたが”今”に生きることは、目の前の問題を解決するということです。
すべての人が問題を抱えます。
そして、多くの人が問題によって苦しみます。
すべての人が問題を抱えるのは、”今”に生きることができないためです。
”今”に生きるということは簡単なことではありません。
なぜなら、あなたはいつの間にかに”今”に反発し、”今”から離れるからです。
あなたが自分だと思っている存在は自我意識です。
自我意識とは、あなたの弱い心です。
あなたの弱い心はあなたに寄り添い、あなたはそれを自分だと思い込みます。
長年連れ添った他人を自分のように思う思考と同じです。
あなたは自我意識を自分だと思い込みます。
当然、あなたの思考や感情などの、内部的な働きも自分自身の活動であると思っているのです。
残念ながら、あなたの思考や感情は、その大半があなたのものではありません。
あなたの内部的な活動の大半が、自我意識の働きであるのです。
あなたは内に抱える思考や感情を観察することができることに気が付けるでしょうか?
あなたは思考や感情を俯瞰(ふかん)することができるのです。
俯瞰することができるということは、俯瞰している存在があなたの内に存在するということなのです。
これは、あなたが自我意識(の思考や感情)を観察しているという構図なのです。
多くの人が自我意識を自分だと思い込んでいます。
そのため、冷静になれば観察することができる思考や感情に没頭するのです。
自我意識の思考や感情というものは歪んでいます。
それは、自我意識の動機は常に恐怖から導かれるからです。
自我意識の思考や感情は、恐怖に対する反発なのです。
そのため、その思考も感情も、結果としては恐怖を助長するものとなるのです。
自我意識の思考や感情に従うのであれば、目の前の状況には多くの問題が引き起こされることになります。
あなたが問題を抱えているというのであれば、それは自我意識に従っているということなのです。
自我意識は恐怖に根差しています。
そのため、現実逃避を選択します。
自我意識に任せているのであれば、あなたはいつの間にかに”今”を手放しているでしょう。
あなたはいつの間にかに過去を回想し、未来に期待しているのです。
あなたの思考や感情はいつも、いつの間にかに過去か未来に存在しているはずなのです。
あなたは思考や感情を観察してみましょう。
そうすれば、いつの間にかに”今”を離れているということに気が付くはずです。
自我意識は現実逃避によって自らを守ろうと考えます。
自我意識にとって”今”に向き合うということは、傷口を抉(えぐ)る行為のようなものなのです。
自我意識は恐怖を抱えています。
”今”に向き合うということは、自我意識にとっては恐怖に向き合うようなものだからです。
あなたの本質は自我意識ではありません。
あなたの本質は真(まこと)なのです。
真とは、強い心です。
厳密に言えば、真と自我意識が合わさったものがあなたの本質ですが、自我意識が強過ぎるためにこのように言うのです。
意識は幾重にも積み重なっています。
あなたは自我意識を一つ一つ取り除かなければなりません。
そして、真も一つ一つ取り除かなければならないのです。
自我意識は弱さを克服するために、真はより強くなるために取り除くのです。
どちらにしても、安定を望んではなりません。
すべては不安定なのです。
すべてが流転するのが自然なのです。
あなたは余計な自我意識と真を手放し、より”今”に近付きましょう。
それがネガティヴであろうが、ポジティブであろうが、余計な荷物を抱えているのであれば、”今”に生きることができません。
余計な荷物は、あなたを過去と未来という天秤に掛けるのです。
余計な荷物を抱えているあなたは、荷物の重さに引かれて不安定な歩みを続けるでしょう。
余計な荷物を抱えなければ、あなたは真っ直ぐに歩むことができるのです。
あなたはいつの間にかにどこかへ”飛ぶ”思考や感情と自分を同一視してはなりません。
あなたは思考や感情を観察し、それに付き合わないように心掛けましょう。
”今”に生きることが大切なのです。
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