あなたには、必要を理解することができません。
あなたには、何が最善であるかを知ることはできないのです。
あなたにとっての必要であり、最善を知っているのは状況です。
あなたの目の前には、常に必要と最善が導かれています。
しかしながら、あなたにはそれを理解することはできません。
そのため、目の前の必要であり最善を否定するのです。
目の前にどのような状況が導かれようとも、それが”今”のあなたにとっての必要であり、最善なのです。
”今”のあなたにとっては、目の前の状況以外には必要も最善もありません。
しかしながら、あなたにはそれを受け入れることができないでしょう。
あなたは目の前の状況以外の必要と最善を探します。
あなたは過去か未来に必要と最善が存在すると考えるのです。
目の前の状況を否定するということは、過去か未来に必要と最善を信じる行為なのです。
残念ながら、必要と最善は”今”にしか存在しません。
あなたは常に必要と最善に向き合っていますが、あなたの自我意識(弱い心)がそれに気が付かないのです。
例え、自我意識が目の前の状況の必要と最善に気が付いていたとしても、それを受け入れることはできないのです。
自我意識の目的は、あなたを”今”から遠ざけることによって苦しみに導くことです。
自我意識はあなたを苦しめるのが仕事なのです。
しかしながら、自我意識は敵ではありません。
あなたの成長のために、あなたを苦しみに導かなければならないのです。
自我意識とは、言わば抵抗です。
自我意識によって、あなたの心には摩擦(まさつ)が生じます。
その摩擦によって道を進むことができるのです。
もしも、自我意識の抵抗が存在しなければ、あなたは先へ進むことはできないのです。
苦しみを抱えている人は道を進むでしょう。
しかしながら、苦しみを抱えない人は道を進むことができません。
摩擦がなければ滑ってしまい、前進することはできないのです。
あなたの目の前には常に苦しみが導かれることでしょう。
それは、あなたが前進するための抵抗です。
心に葛藤(かっとう)を抱かない者が成長することはないのです。
目の前に苦しみが存在するのであれば、それがあなたにとっての必要であり最善なのです。
それ以外の必要も最善も存在しないのです。
あなたは目の前の状況を否定することによって、過去か未来に逃避します。
そして、余計な荷物を抱えることになるのです。
あなたは、本当は必要の無い多くのものを蓄えています。
その感情(価値観)は必要ですか?
その思考(考え方)は必要ですか?
その行為(習慣)は必要ですか?
あなたは冷静に観察してみましょう。
それは、本当は”今”に必要のないものであるはずです。
それは、過去に必要であったものであって、”今”には必要のないものであるはずなのです。
あなたは、”今”に必要とはしていない多くの荷物を抱えているはずです。
”今”に必要がなければ、後の”今”にも必要ではありません。
過去か未来に生きていれば、余計な荷物を必要とするでしょう。
”今”に生きているのであれば、”今”に必要なもの以外は抱え込まないはずなのです。
”今”に生きる人には執着がないのです。
人は目の前の状況が導く必要と最善を理解しません。
そのため、多くのものに執着しています。
無意識の内であっても、多くの荷物を抱え込むのです。
あなたの”懐(ふところ)”には、多くの余計な荷物が抱え込まれているでしょう。
あなたの部屋に多くの荷物が蓄えられているように、あなたの心にも多くの感情が蓄えられています。
過ぎ去ったことを後悔する必要はありません。
未来を思い悩む必要はありません。
過去は過ぎ去り、未来は訪れないのです。
あなたが存在することが許された唯一の時間は、”今”だけなのです。
そのため、あなたは過去にも未来にも存在することはできません。
”今”が必要であり、最善であるということを理解しましょう。
目の前の状況を否定したい気持ちは分かりますが、安易な選択は避けるべきです。
冷静に目の前の状況を観察しましょう。
そうすれば、それが必要であり、最善であるということに気が付くでしょう。
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