あなたは理想に対する執着を手放さなければなりません。
	多くの人は理想に翻弄(ほんろう)されています。
	理想に振り回されることによって、人生の本質を見失うのです。
	あなたの目的は理想を実現することではありません。
	理想が実現しようと、それが実現することがなくても、人生においてはどちらでも良いことなのです。
	大切なのは、結果を受け入れることです。
	どのような結果を得ようとも、それで良いのです。
	あなたは自分を知りません。
	あなたが自分だと思い込んでいる存在は自我意識です。
	自我意識とは弱い心です。
	人は弱い心であり、自我意識を克服するために人生を体験しています。
	自我意識を克服するためには、自我意識と向き合う必要があるのです。
	自我意識と向き合うことによって、自我意識の本質を知ることがなければ、自我意識を克服することはできません。
	理解することによってその対象を克服することができます。
	理解が及ばなければ、その対象を克服することはできません。
	例えば、暴力の理由を理解すれば、暴力に対する歪んだ認識を克服することができるでしょう。
	理解が及ばなければ、暴力は悪として認識され、その本質を見失ってしまうのです。
	もちろん、暴力を推奨(すいしょう)している訳ではありません。
	すべての状況には理由があると言っているのです。
	それが暴力であろうとも、そこには理由が存在しているのです。
	その理由を理解すれば、暴力はもはや悪としての形を成さないのです。
	多くの人が自我意識の求める理想を自分の目的だと思い込んでいます。
	自我意識は克服するべき対象であり、あなたの主体ではありません。
	自我意識の求める理想が実現しようと、それが実現することがなくても、どちらでも良いのです。
	あなたの追い求めている理想に対する執着に注意しなければなりません。
	必ずしも、理想を追い求める必要はないのです。
	強過ぎる理想はあなたを縛り付けて自由を奪います。
	自由を奪われたあなたは、苦悩に閉じ込められることになるのです。
	多くの人が苦悩しているのは、理想への執着によって自由を奪われたためです。
	理想に対する欲求が強過ぎるために、自由を手放してしまうのです。
	あなたが手放さなければならないのは自我意識です。
	自由を手放してはなりません。
	その欲求が理想の実現にだけ向かわないように注意しましょう。
	理想の実現にだけ向かう心は弱さを抱えます。
	弱さとは不自由さのことです。
	理想の実現にだけ向かう心は、理想の実現に対する柵(しがらみ)を抱えます。
	強さとは、弱さを手放した状態です。
	弱い心は、理想を手放すことを恐れるのです。
	すべての人生は理想通りには進みません。
	それは、理想が自我意識の欲求に過ぎないからです。
	あなたの掲げる理想は、自我意識に付属しているのです。
	そのため、自我意識の克服は、理想の崩壊を意味するのです。
	理想が実現することが目的ではないと理解することによって、あなたは不自由さに捕らわれずに済みます。
	自我意識は理想の実現を断行します。
	自我意識にとっては、理想の実現だけが受け入れられる現実なのです。
	しかしながら、あなたは真(本当の自分)も所有しています。
	自我意識の理想の実現は、真にとってはどちらでも良いことなのです。
	理想が実現しようが、実現すまいが、人生は続いていくのです。
	何かを成し遂げようという思いに執着する必要はありません。
	何かを成し遂げようと、何かを成し遂げることが出来なくても良いのです。
	人生の目的は成長にあります。
	理想が実現しようがするまいが、あなたは成長することができるのです。
	自我意識の解放こそが成長です。
	理想の実現に執着する必要はありません。
	人生がどのように展開しようとも、それを大切にしましょう。
	
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