多くの人は、人生に虚しさを感じています。
	多くの人は、人生に意義を見出せずにいるのです。
	多くの人が人生に苦しんでいます。
	多くの人が生きることに悩みます。
	しかしながら、生きなければなりません。
	人生には目的が存在しています。
	それは、成長するという目的です。
	何が成長するのでしょうか?
	初めは、肉体と思考を成長させる目的のために生きることになります。
	それは生存のためです。
	人の人生における基本的な目的とは、生存することなのです。
	生存しなければ、選択肢は得られません。
	人生における生存とは、植物の根のようなものなのです。
	根がなければ、植物はすぐに枯れてしまいます。
	そのため、人生においての生存というものは、重要な要素となっているのです。
	生存を司るのは自我意識です。
	自我意識は肉体と思考を司ります。
	肉体と思考の目的は生存です。
	この世界に生存するためには恐れなければなりません。
	恐れを抱くことがなければ、生存はおぼつかないのです。
	不眠を恐れ、空腹を恐れ、疲労を恐れ、病を恐れ、他人を恐れ、環境を恐れ、将来を恐れ、生を恐れ、死を恐れるのです。
	恐ることによって不足を認識し、より生存に対する強い欲求が生じるのです。
	恐れを生じさせる自我意識は、あなたを生存へと導くのです。
	生存を追求するということは、肉体と思考を追求するということでもあります。
	多くの人が肉体と思考の状態を気に掛けています。
	肉体と思考の働きによって、処世術を編み出すのです。
	生存を追求することの目的は、生存を確立することです。
	自我意識に従い、強い恐れを抱いている多くの人は、既に生存が確立しているということを認識しません。
	常に生存の不安が付きまとい、より多くの”安心”を求めているのです。
	そこに矛盾が生じます。
	あなたは多くの”安心”を必要とはしていません。
	あなたは既に生存を確立しているのです。
	”今”に生きることによって、その事実を理解することができますが、自我意識は恐れの性質であるために、過去と未来にのみ存在します。
	自我意識は、”この先どうなるか分からない”と考えるのです。
	そして、生存の強化を図るのです。
	それは、未来を生きる行為です。
	それは、”今”に生きているはずのあなたに、更なる矛盾を与えることになります。
	そうやって、あなたは多くの矛盾を抱えます。
	多くの矛盾が自我意識を強化し、あなたは真(本当の自分)を見失うのです。
	生存は既に実現しているために、それを追求することには意義を見出せません。
	人生に虚しさを感じている人は、既に実現していることを実現しようとしているために虚しいのです。
	それは、既に知っていることを聞き、既に持っているものを得るようなことなのです。
	同じことを繰り返すことには意義を見出すことができません。
	同じ”ような”ことであれば、意義を見出すこともできるでしょう。
	生存は既に実現しているために、生存を実現しようとすることには意義を見出すことはできないのです。
	大切なのは、肉体と思考への追求ではありません。
	それは、肉体も思考も必ず衰えるからです。
	肉体も思考も死を得るのです。
	崩壊していくものに尽力することは虚しいのです。
	肉体や思考が衰えたとしても、人生が終わる訳ではありません。
	そのため、いつまでも自我意識に頼っていては、人生の意義を見出すことはできないのです。
	あなたが人生に虚しさを感じるのであれば、自我意識に従っているということを知りましょう。
	あなたは生存するために人生に存在しているのではありません。
	成長し、学ぶために存在しているのです。
	自我意識が根幹であれば、真は枝葉です。
	根を育てることは大切ですが、枝葉にこそ花が咲き、果実が成るのです。
	実り(意義)のある人生にするためには、生存に尽力するだけではなりません。
	真は子供のように人生を遊びます。
	遊ぶことによって自由に経験するのです。
	自我意識と共に大いに働き、真と共に大いに遊びましょう。
	そこに虚しさは存在しないでしょう。
	
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