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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2016年12月19日月曜日

信仰の崩壊

すべての人は自らの信じるものを所有しています。
すべての人は信仰を所有しているのです。
すべての人は信仰に従って行動します。
すべての人は信仰によって人生を築いているのです。
信仰とは思考を超えた意識です。
思考は信仰によって導き出されます。
多くの人が、自分で思考していると思っていますが、それは信仰によって導かれた選択肢でしかないのです。
あなたの人生を築いているのは思考ではありません。
あなたの心でもありません。
あなたの信じるものが、あなたの人生を築いているのです。
信仰は強力な力です。
信仰に逆らうことのできる人は少ないのです。
どのような対象を信仰していようとも、信仰の対象が主(あるじ)となるのです。
あなたは主に仕える者としての役割を演じることになります。
信仰によって人は人生を築きます。
あなたはそのことに気が付かなければなりません。
あなたは信仰に逆らうことはできません。
信仰を裏切ることもできないでしょう。
信仰とは、抽象的な概念に過ぎません。
それは不安定なものなのです。
あなたは不安定であり、抽象的なイメージに支配されているのです。
信仰とは思い込みに過ぎません。
人は思い込みに従って生きているのです。
思い込みは無知によって引き起こされる状態です。
あなたが無知である程に、信仰に対する抽象度は高まるのです。
無知である程に、自分が何者であるのか?という答えは曖昧(あいまい)なものとして止まるのです。
無知である程に、人生の目的は抽象度を高めるのです。
自分が何者であり、人生の目的は何であるのか?という答えが曖昧である程に、人は迷うことになるでしょう。
その答えが未熟なものであっても、具体的である程に迷いを抱えることはありません。
信仰に対して具体的である程に、信仰の本質を見極めることができるでしょう。
あなたが自らの抱える信仰を追求し、その具体度を高めるのであれば、その信仰体系の綻(ほころ)びを発見するでしょう。
例えば、隣の家庭が幸福そうに見えたとしても、その家庭にも同じように多くの問題が存在しているのです。
無知は抽象度を高め、信仰に対する曖昧さを導きます。
それは、焦点が合わずに見ているようなものです。
輪郭が曖昧さを増すのであれば、それが何であるか?を理解することはできないのです。
多くの人は信仰に対して幻想を抱いています。
それは、自らの信じるものが自分を救ってくれるという思い込みです。
残念ながら、あなたの信仰の対象があなたを救うことはありません。
それがどのような信仰であろうとも、あなたを救う力はないのです。
なぜなら、あなたは未熟であるからです。
未熟な者の信仰の対象も未熟です。
あなたが現在信仰している対象は、現在のあなたにとって役立っているだけであって、残念ながら後のあなたには役立ちません。
それは、あなたが成長するためです。
成長したあなたには、それに相応しい信仰が必要となります。
それは新しい概念や価値観であり、新しい信仰があなたを手助けするのです。
新しい信仰を受け入れるためには、古い信仰を手放す必要があります。
古い信仰が悪いと言っている訳ではありません。
あなたにとっての古い信仰は、あなたには必要がないと言っているのです。
多くの人は古い信仰に執着します。
そのため、新しい信仰を受け入れることは円滑(えんかつ)には行われません。
あなたは強い葛藤(かっとう)を覚え、苦しむでしょう。
あなたが新しい信仰を受け入れるためには、古い信仰からの抵抗は避けられません。
古い信仰は必ず抵抗します。
しかしながら、それで良いのです。
古い信仰からの抵抗は、新しい信仰を受け入れる後押しとなるからです。
あなたが信仰に対して具体度を高めれば、必ず綻びを発見します。
その綻びの発見によって、信仰の崩壊が始まるのです。
信仰の崩壊は、あなたに強い不安を与えるでしょうが、屈してはなりません。
信仰が崩壊するということは、あなたが成長するということなのです。
そのため、信仰が崩壊することは喜ばしいことなのです。
あなたは多くの信仰(主)に仕えることになるでしょう。
信仰は一つではありません。
それは次々に変化して良いのです。
寧(むし)ろ、変化しなければなりません。
信仰が変わらないということは、成長していないということだからです。
古い理論を信仰しているのであれば、先へ進むことはできません。
あなたは新たな理論を打ち出し、”謎”に挑戦しなければなりません。
無知を放置してはなりません。
良く観察し、良く発見しましょう。
自分が何をしているのか?ということを知らなければなりません。

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