あなたは、意識です。
	あなたは形を持ち、形を持ちません。
	あなたは有り、あなたは無いのです。
	あなたには、二つの方向性が与えられています。
	それは、陰陽、高低、前後、プラスマイナス…
	名称は何でも良いのです。
	どちらにしても、あなたの意識は対極の方向性を所有しています。
	あなたの意識は、対極する方向のどこかの位置に存在しています。
	あなたの意識の位置が、あなたの意識レベルを決めるのです。
	あなたは自らの意識のレベルによって世界を認識し、判断します。
	あなたの認識と判断が、意識レベルを離れることはありません。
	あなたがどのように努めようとも、意識のレベルを変えることがなければ、認識と判断が変わることはありません。
	例えば、心の歪んだ者が高価な装飾品によって肉体を彩り、美しい表情で飾ったとしても、豊かな人となることはありません。
	意識レベルを変えることがなければ、どのような努力も儚(はかな)く散るのです。
	心の歪んだ者は、歪んだ認識と判断を下します。
	すべての認識と判断は、意識レベルに相応しく導かれるのです。
	心の歪んだ者の善行は、心の清らかな者の愚行に過ぎないのです。
	心の清らかな者には愚行として認識され判断される行為も、心の歪んだ者には善行として認識され判断されるのです。
	人は意識レベルの範囲のみの認識と判断しか下せません。
	意識レベルの範囲を超えて認識し、判断することは出来ないのです。
	そのため、人は理解し合えないのです。
	あなたの他人に対する期待は簡単に裏切られることになります。
	意識レベルの異なる相手に期待するのは、異なる文化、言語圏の相手に期待するようなものです。
	互いがどのように好意的に認識し判断しようとしても、それは叶わないのです。
	多くの人は、自分と他人を同一視します。
	他人を自分として仕立て上げたいのです。
	それは、仲間を作ることによって自己正当化を図るためです。
	自分の認識と判断に賛同する仲間がいれば、自分が正しいと思えます。
	自分が正しければ、自分の愚かしさや見窄(みすぼ)らしさを知らずに済むからです。
	すべての人が未熟であり、愚かで見窄らしいのです。
	しかしながら、歪んだ心がそれを受け入れる意識のレベルにありません。
	事実を受け入れることが出来ない心は、偽りを生み出すのです。
	低次の意識レベルに有る者の世界は偽りで溢れているのです。
	しかしながら、その偽りは偽りとはならないのです。
	それは、その意識レベルに有る者にとっては、それが事実だからです。
	あなたは、常に自分を客観視しなければなりません。
	あなたは自らの意識レベルの範囲によって認識し、判断しています。
	それは、無意識の内に行われ、客観性を失えば、何が何だか分からないという状態に至ります。
	それが、偽りを偽りと見極められない状態を導き、自己正当化に没頭する苦悩の世界を作り上げるのです。
	それが自我意識によって形成された人間社会であるのです。
	自己正当化によって生きるのであれば、あなたは苦悩の日々を送ることになります。
	歪んだ心は、歪んだ世界を作り上げるからです。
	あなたは自らの意識の状態に注意を払わなければなりません。
	意識を注視しなければ、意識を変えることは出来ません。
	姿形や状況や環境や人間関係を変えることは、何の解決策にもなりません。
	あなたの抱える問題の本質は、意識レベルにあるからです。
	自己正当化をやめるだけで、問題は解決しますが、問題を抱えている者にはそのことを理解することが出来ません。
	低次の意識レベルに有る者には、問題の本質が姿形や状況や環境や人間関係などにあるとしか判断することが出来ないからです。
	意識レベルを変える以外に解決策は無いのです。
	世界はあなたの意識レベルそのものです。
	外は内を現し、内は外を現すのです。
	外にあると思える問題は、内にあると思いましょう。
	克己心(こっきしん)によって意識のレベルを変えるのです。
	
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