あなたは、多くの自我意識を抱えています。
	自我意識とは弱い心のことです。
	弱い心とは、歪んだ感情です。
	何かに対して怒りや悲しみや虚しさを向ける心こそが、自我意識なのです。
	あなたは多くの歪んだ感情を抱えているのです。
	そのことに気が付く必要がありますが、大抵の人が気付きません。
	それは、自我意識を自分だと思い込んでいるからです。
	弱い心は、”あなた”と同化しています。
	弱い心を自分だと思い込んでいるあなたは、その感情が歪んでいることに気が付かないのです。
	歪んだ感情を当たり前に思っているため、歪んだ感情を正当化するのです。
	それは、自我意識の正当化です。
	多くの人は、それが弱い心であるにもかかわらず、それを正当化することによって本質を見失うのです。
	歪んだ感情に従う人は、歪んだ結果を受け取ることになります。
	この世界には因果の仕組みが存在するのです。
	あなたの選択の通りに、状況が導かれるのです。
	多くの人が苦悩を抱えていますが、それが自らの自我意識によって導かれているということは知りません。
	自我意識を正当化することによって、原因を誰かや何かに押し付けるのです。
	人生におけるすべての原因はあなたにあります。
	これはあなたの人生なのです。
	誰かや何かによって築かれている訳ではありません。
	そのように見える時には、そのようにしか見(え)ていないのです。
	自我意識の、弱い心の、歪んだ感情を通して見ているために、人生の原因が誰かや何かの責任に思えるのです。
	その程度の見解であっては、人生に苦悩は続くのです。
	あなたは、自分が自我意識ではないということを知らなければなりません。
	あなたの思考も感情も、それは自我意識というあなたの弱い人格によって導き出される選択なのです。
	自我意識はあなたの一部ではありますが、あなたではありません。
	あなたの一部と、あなたを混同してはなりません。
	あなたの一部を主体としてはならないのです。
	例えば、病気を抱えたとしても、それはあなたの一部でしかありません。
	病気を抱えたからといって気を病む必要はないのです。
	多くの人は病気を自分だと考えます。
	肉体や心の不調を自分と同一視するのです。
	例えば、病気は自我意識の一形態です。
	自我意識によって、肉体や心に不調が起きるのです。
	病気を治療するということは、自我意識を手放すということなのです。
	肉体や心(思考や感情)を整えたところで、自我意識を抱えているのであれば、同じ状態が導かれるのです。
	自我意識を手放すためには、それを燃やさなければなりません。
	自我意識を燃やす炎とは苦しみです。
	あなたは苦しむことによって、自我意識を燃やすことができます。
	自我意識が燃やされるために、それを苦しいと感じるのです。
	あなたが苦しいと感じているのではありません。
	自我意識が苦しんでいるのです。
	人生を俯瞰(ふかん)すれば、苦しみこそが最善であることを理解することができます。
	自我意識によって直視すれば、苦しみは最悪となるのです。
	自我意識が燃え尽きるまで苦しみは続きます。
	しかしながら、自我意識が燃え尽きたのであれば、苦しみは嘘のように消え去るのです。
	燃料がなければ、炎は存在することができないのです。
	例えば、大病を患(わずら)った人の自我意識は激しく燃えます。
	そして、大病を克服すれば人生観は大きく変わっているのです。
	大きな苦しみを味わった人は、歪みが取れて(燃えて)素直な心を手にするのです。
	苦しんだ人ほど、本質へと近付くことができます。
	苦しんだ人ほど、自分が何者であるのかを知るのです。
	自我意識と同化している人には、苦しみの重要性を理解することができません。
	あなたが少しでも俯瞰して人生を眺めることができるのであれば、苦しみとは何か?という問い掛けをしてみましょう。
	そうすれば、苦しみを受け入れることができるでしょう。
	あなたは苦しまなければなりません。
	あなたが苦しんでいるとすれば、その苦しみに感謝しましょう。
	
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