あなたは多くの思い込みを所有しています。
人は、与えられた知識を利用し、自らの課題と向き合います。
与えられた知識は、抱えている課題を克服するための手段であり、課題の克服と共に利用価値を失います。
すべての人が未熟です。
すべての知識は限定的であり、それは肉体のようにやがて朽(く)ち果てます。
知識とは課題に対する必要であり、普遍的(ふへんてき)なものではないのです。
そのため、あなたは知識を受け取り、やがてはその知識を手放さなければなりません。
どのような知識も、それを永遠に抱え込むことはできません。
知識を抱え込むということは、課題を抱え込むということだからです。
あなたの目的は課題を克服することであり、課題と共に生きることではないのです。
そのため、あなたは知識を手放さなければならないということを受け入れる必要があるのです。
すべての人が知識を手放すことを恐れます。
それは、今までをその知識によって切り抜けて来たからです。
今まで助けてくれた知識であれば、これからも助けてくれると考えるのです。
しかしながら、知識の停滞は課題の停滞であり、それは過去に縛られる状態を得るに過ぎません。
時間は経過し、状況や環境には変化が訪れるように感じます。
しかしながら、知識と課題の停滞が人生を進めることはありません。
そのような状態であれば、時間も状況も環境も、その表面が変化したように映るだけであり、本質的には何も変わってはいないのです。
あなたは人生を進めなければなりません。
それがあなた(真(本当の自分))の望みであるのです。
自我意識は、人生を停滞させるでしょう。
それは、自我意識とは課題そのものであるからです。
人生が進むということは、自我意識の崩壊であるからです。
自我意識は恐れています。
自我意識は、自らの存在を保持したいのです。
そのため、自我意識に従っている人は、利用価値の無い古い知識を手放すことができず、新たな知識を受け入れることができません。
古い概念を盲信(もうしん)し、新しい概念を受け入れることができない”老人”がその典型なのです。
時代の話をしているのではありません。
本質的であるか、そうではないか、という話をしているのです。
古い概念とは、本質的ではない知識のことです。
新たな概念とは、より本質的な知識のことなのです。
あなたが成長することによって、今までに所有していた概念は古くなります。
それは、課題の崩壊を意味しているのです。
古い知識や概念に執着するということは、今にも朽ち果てそうな建物に住むようなものなのです。
廃墟(はいきょ)に住むことによって、あなたは幸福を得られるでしょうか?
そこには苦悩が導かれるのです。
あなたは廃墟を離れ、新たに建物を建造しなければなりません。
それがあなたの住む、新しい概念であり、新たな知識なのです。
そこには、多くの不足が存在しています。
新居には何も無いからです。
あなたはそこで、多くの知識を得ることができるでしょう。
それは、今までには知らなかった知識です。
あなたは新たな知識によって、多くの喜びを得るでしょう。
あなたは多くの思い込みを所有しています。
あなたの盲信している古い知識や概念は重要ではありません。
それを失うことを何よりも恐れているのは、あなたの真(まこと)ではないのです。
あなたの自我意識こそが、過去を失うのを恐れているのです。
残念ながら、過去には価値がありません。
過去に価値があると思うのは、自我意識による教育の結果なのです。
あなたは自我意識を自分だと思い込んでいます。
そのため、古い知識や概念を重要視しているのです。
より本質的な知識や概念を求めなければなりません。
未知を恐れてはなりません。
未知こそ、あなたにとっての可能性なのです。
どのような知識や概念であったとしても、未知を大切にしましょう。
知らないことを知ることによって、あなたは本質に近付くことができるでしょう。
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