人は、意識の檻(おり)の中に存在しています。
	すべての人の意識は、その人を囲んでいるのです。
	どのような人物であろうとも、意識の檻から逃れることはできません。
	すべての人にとって、意識の檻は余りにも強固なものなのです。
	無理矢理に抉(こ)じ開けることはできません。
	どのような力も意識の檻には通用しません。
	すべての人が、破壊することのできない意識の檻の中に存在しているのです。
	しかしながら、多くの人は意識の檻の存在に気が付いていません。
	目の前に檻が存在しているにもかかわらず、それが目に入らないのです。
	どのようなものであっても、知らなければ目には入らないのです。
	意識の檻は、自らの心を観察することによって初めて、目に入るようになるのです。
	状況や環境や他人などの、外的要因ばかりに捕らわれているのであれば、意識の檻を認識することはできません。
	すべての人が閉じ込められている状態であるにもかかわらず、それを理解しないのです。
	意識の檻はとても狭く、その中では決して豊かさを得ることはできません。
	意識の檻の中では、自由に”身体”を伸ばすこともできないのです。
	意識の檻の中では、すべての精神が緊張しています。
	そして、いつも不安を抱えて怯(おび)えているのです。
	あなたは何も無い狭い檻を快適だと思うでしょうか?
	狭い檻の中の生活を豊かだと思うでしょうか?
	檻の中に閉じ込められているのに、それを幸福と感じるのでしょうか?
	檻の中に閉じ込められた動物を見てみましょう。
	檻の中の動物が快適で豊かな生活を送り、それを幸福だと思っているでしょうか?
	あなたが檻の中に閉じ込められている動物を見て、それを不幸だと思うのであれば、動物を檻から解放し、より広い場所での生活を与えなければならないでしょう。
	檻の中の動物は、人間の自我意識によって閉じ込められています。
	これと同じことが、あなたの心の中でも行われているのです。
	人の心が人間社会を構築します。
	人間社会はその社会を生きる人の心を現しているのです。
	あなたは自らの自我意識によって、意識の檻に閉じ込められています。
	あなたはその檻の中でしか行動することができません。
	檻よりも広く行動することはできません。
	あなたは檻の中のものを手に入れます。
	そして、檻の中のものを与えるのです。
	檻の中の生活の何かに特別な思い入れを抱き、それを幸福だと思い込みます。
	檻の中では、小さな石ころでも宝物となります。
	檻の中では、幻想が展開するのです。
	幻想に生きてはなりません。
	あなたは意識の檻を抜け出し、現実を生きるのです。
	すべての人が異なる意識の段階にあります。
	意識の段階が低ければ、狭い意識の檻の中に存在することになります。
	意識の段階が高ければ、(比べると)広い意識の檻の中に存在することになるのです。
	狭い意識の檻の中に生きている者には、広い意識の檻の中の生活を信じることはできません。
	受け入れる準備ができていない者には、何も教えることができないのです。
	意識の段階が低く、狭い意識の檻に閉じ込められている者には、それ以上のことを受け入れることができないのです。
	目の前の状況がどのようなものであれ、それを受け入れることができなければ、意識の檻を抜け出すことはできません。
	受け入れることができないことは、檻の外で起こっていることです。
	檻の外で起こっていることを受け入れることができるのであれば、檻の外に向かうことができるのです。
	意識の檻を破壊することはできませんが、扉を開けて外へ出ることはできます。
	受け入れることができないことを受け入れることができれば、それは成長したということです。
	意識の檻とは、度量と同じなのです。
	度量が狭い者には、どのようなことも受け入れることができないでしょう。
	度量が広い者には、どのようなことも受け入れることができるのです。
	あなたは意識の檻から抜け出さなければなりません。
	小さな意識にとどまっていてはなりません。
	どのような状況が導かれようとも、あなたはそれを受け入れるように努力しましょう。
	受け入れることができなければ、人生が展開することはありません。
	受け入れられないことを受け入れなければ、苦悩は続くということを覚えておきましょう。
	人は、意識の段階に従った人生を生きるのです。
	意識の段階に反する人生を生きることはできません。
	その思考も行動も、意識の檻の中に閉じ込められているということを知りましょう。
	
0 件のコメント:
コメントを投稿