人は無意識の思考を所有しています。
無意識の思考は認識することが出来ない状態で所有している思考のことです。
人は多くの時間を無意識の内に過ごします。
意識的に時間を過ごす人は少ないのです。
多くの時間、人は過去の感情を反復しているのです。
過去の体験に対して選択した感情を未だに引き摺(ず)っているのです。
それは、過去に選択した感情が歪んでいるためです。
その歪みを解消することが成長へのきっかけとなるために、過去の感情と向き合っているのです。
しかしながら、人には最善が分かりません。
最善とは、感情の歪みを解消して成長する作業のことですが、そのことには気が付かないのです。
そのため、自分が未だに過去を生きている(過去と向き合っている)ということにも気が付きません。
自分の思考が過去の感情から生じているとは思えないのです。
あなたは、自分が認識することが出来ない過去の感情を生きているということを知らなければなりません。
無意識の内に時間を過ごしているということを理解しなければ、人生は無意識の内に過ぎてしまいます。
人生を夢遊するのであれば、歩むこともままならないのです。
無意識の内に道を歩むのであれば、簡単に崖に落ち込んでしまうでしょう。
人生に問題を抱え、苦悩を味わう多くの人は、無意識の内に時間を過ごしているということを理解しなければなりません。
自分が何者であり、何をしているか分からないのです。
どこをどのように歩いているのかも分かりません。
それでは、苦悩に落ち込むことは当然の結果であるということなのです。
あなたは瞼(まぶた)を開き、意識的に道を歩む必要があります。
そうすれば、あなたが人生の苦悩に落ち込むことはないのです。
過去の感情を生きるということは、幻想の自分を生きるということです。
あなたの現実は”今”に存在し、過去は幻想に過ぎないのです。
そのため、多くの人は過去という幻想を生きています。
人生を夢遊するのであれば、”今”を生きることは出来ません。
あなたは無意識の内に何かを批判していることでしょう。
この世界には陰と陽の二つの性質が存在していますが、それ等が対立している訳ではありません。
陰と陽の二つの性質が共存しているのです。
過去の未熟で歪んだ感情は、陰と陽の二つの性質が共存していることに気が付きません。
意識的に観察すれば、陰と陽の二つの性質が共存しているということに気が付くことが出来るのです。
そして、すべてが自分に対しての最善であり、成長のための大切な作業であるということを理解することが出来るのです。
そうなれば、過去の感情が引き起こす苦悩という幻想に翻弄(ほんろう)されずに済みます。
すべての苦悩が、あなたの思考の内で展開している妄想なのです。
無意識の内に時間を過ごすのであれば、どのような人物も苦悩に落ち込みます。
意識的に時間を過ごすのであれば、どのような人物であろうとも、苦悩に落ち込むことはないのです。
あなたに必要なことは、無意識の内に時間を過ごしているということに気が付くことです。
あなたは自分が何かを思考していると思っていることでしょう。
しかしながら、あなたの思考は過去の感情を反復しているに過ぎません。
過去の感情を反復しているのであれば、実際には思考してはいないのです。
それは、呪文のように決められた文句を繰り返し唱えているに過ぎないのです。
夢遊状態であっても道を歩んでいるように見えますが、崖に落ち込むのであれば実際には進んではおらず、却(かえ)って遠回りになるのです。
そのため、多くの人が人生に対して後悔することになるのです。
崖に落ち込めば、人は夢遊状態から目覚めることが出来ます。
人は苦悩によって無意識の状態から解放されるのです。
過去の感情は苦悩を否定します。
そのため、夢遊状態に陥(おちい)るのです。
苦悩こそがあなたを目覚めさせます。
無意識の内に苦悩を否定してはなりません。
意識的に苦悩を楽しむのです。
そうすれば、あなたは目覚めることが出来るでしょう。
無意識の内に苦悩を否定してはなりません。
人生における苦悩こそが、あなたにとって重要な存在であると理解する必要があるでしょう。
無意識に何かを決め付けてはなりません。
”当たり前”を疑う必要があるのです。
あなたは自分が夢遊状態で道を歩んではいないか?と疑ってみましょう。
夢遊状態においては、そのことに気が付きはしませんが、一瞬でも目覚めた時には相対的に自分の置かれた状態に気が付くことができるでしょう。
眠りながら生きてはなりません。
過去に眠るのをやめて、”今”に目覚めていましょう。
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