人は多くのものを求めます。
	すべての人に欲求が備わり、それに翻弄(ほんろう)されているのが現状です。
	それは不足を感じているためです。
	不足は恐れから生じる感情です。
	恐れているために不足を感じ、不足を感じているために求めるのです。
	多くの人の人生とは、不足と欲求によって成り立っているのです。
	人が恐れているのは、過去や未来を生きているためです。
	”今”この瞬間には問題は存在しません。
	問題が生じる場所は、過去と未来に限定されているのです。
	あなたは問題について考察してみましょう。
	そうすれば、問題の本質が恐れであるということを理解することができるでしょう。
	恐れを手放せば問題も手放すことができます。
	しかしながら、多くの人が恐れを手放せないでいるために、問題を抱え続けているのです。
	一つの問題を解決したと思えば、次の問題が生じています。
	問題は休むことなく生じ続け、人を苦しめるのです。
	豊潤な土壌には草木が茂ります。
	草木の種子はどこからともなく飛んで来て、土壌を覆うのです。
	土壌が豊潤であるほどに、草木は茂り、大きく育つのです。
	問題は、問題にとっての豊潤な心を好みます。
	それは、ネガティブな感情に支配された心です。
	問題の栄養となる感情は、不安、怒り、心配、悲しみ、傲慢(ごうまん)、怠惰(たいだ)、卑屈(ひくつ)、憐憫(れんびん)・・・
	妄想的な感情はすべて、問題の栄養となります。
	ネガティブな感情に支配された心を抱える人には、問題がやむことはありません。
	そのような人は常に問題を抱えて苦しんでいるのです。
	土壌が痩(や)せているのであれば、問題が茂ることはないでしょう。
	ポジティブな感情に支配されている人の心には、問題は不毛なのです。
	もちろん、ポジティブな心を持つ人も多くの問題を抱えてはいますが、それが肥え太ることはないのです。
	問題に栄養を与えなければ、問題が大きく育つことはないと知りましょう。
	あなたには問題があるでしょうか?
	過去や未来に集中することをやめてみましょう。
	過去がどうであったか?
	未来がどうなるか?
	そのような思考に価値はないのです。
	あなたが過去や未来に集中することをやめれば、そこに問題は存在しないはずです。
	あなたに不足はなく、恐る必要もないことに気が付くでしょう。
	多くを求める人は、自らの器を知りません。
	あなたは自らの器を所有しているのです。
	器に合わせて何かを所有することができるのです。
	あなたは、器に合わせたものがとどまるということを理解しましょう。
	多くの人は自らの器を知りません。
	そのため、笊(ざる)に水を貯えようと考えるのです。
	しかしながら、笊に水の粒子は小さ過ぎるのです。
	笊に水はとどまりません。
	笊に水をとどめようと考えることが不足を覚えさせるのです。
	自らの器が笊の形をしていることを知っていれば、それに水をとどめることが不可能であるということを理解することができます。
	そうなれば、笊に水を貯えようとは思わないでしょう。
	求めても求めなくても結果は変わりません。
	あなたが求めても、祈っても、笊に水をとどめることはできないのです。
	唯一の解決策は、笊にとどまるものを貯えることです。
	それは、自らの考え方や態度を改めるということなのです。
	あなたはどうしても水を貯えなければならないのでしょうか?
	他人の器が陶器であり、水を貯えることができたとしても、その人には水が必要であっただけであり、あなたには必要ではないのです。
	あなたの器が笊であれば、笊に貯えることができるものが必要であるということなのです。
	多くの人が誤解しています。
	多くの人が自らの器の形を知らないのです。
	あなたがすべきことは、自らの器の形を知ることです。
	残念ながら、自分を知ること以外に必要なことはありません。
	自分を知るためには、”今”に生きなければなりません。
	過去も未来も妄想に過ぎません。
	なぜなら、そのようなものは存在しないからです。
	厳密に言えば、そのような場所に存在することができないということなのです。
	過去や未来に”逃避”することは現実的ではありません。
	不足を考えることをやめましょう。
	不足は過去や未来にこそ存在しているのです。
	それは手の届かない場所だからです。
	不足を考えるのであれば、”今”に生きることはできません。
	あなたは、何が有るか?ということを考えましょう。
	
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