人は、自分の課題を抱えています。
それは、問題であり、学びであり、成長であるのです。
あなたは自分の問題を抱え、自分の学びを経験し、自分の成長を実現するのです。
あなたは自分のために生きています。
あなたは自分のために人生に存在しているのです。
大切なのは、”これ”が自分の課題であるということです。
あなたには解決しなければならない課題があります。
あなただけが、その課題を体験することができます。
あなただけが、その課題を解決することができるのです。
どのような他者も、あなたの代わりにあなたの課題を解決することはできません。
”これ”は、あなたが自力によって果たさなければならないことなのです。
あなたには自分の課題があるように、他人には他人の課題があります。
人は人生において、それぞれの課題に向き合っているのです。
そして、それを解決する必要があるのです。
あなたは他人に課題を押し付けることはできません。
あなたの課題を他人が肩代わりすることもできません。
他人の課題を引き受けることもできないのです。
あなたは自分の課題と向き合わなければならないのです。
それは、どのような状況においてもそうなのです。
あなたは自分の課題と他人の課題を混同してはなりません。
抱えている問題が苦しく、あなたはそれを手放したいと考えるでしょう。
しかしながら、それを手放すことはできません。
他者の抱えている問題を不憫(ふびん)に思い、それを代わりに抱えてやりたいと思うでしょう。
しかしながら、他者の問題を引き離すことはできません。
それぞれの課題は、それぞれが成長するために必要な問題なのです。
それを拒絶したり、相手から奪おうとする行為は、人生を歪めることだと知らなければならないのです。
すべては必要であるために目の前に存在しているのです。
必要でなければ、それを所有している必要もないのです。
あなたは、すべてに意味が存在するということを知らなければなりません。
意味の無いものは存在しません。
あなたや周囲の人に理解することができない意味は存在します。
しかしながら、理解することができないからといって、意味が存在しないということではないのです。
あなたは苦しみます。
他者も苦しみます。
あなたはそれを受け入れる以外に方法はないのです。
自分のことなら我慢する覚悟のある者であっても、他者の苦しみには耐えられません。
しかしながら、他者が自らの課題を学ぶことへの邪魔は許されないのです。
人はそれぞれに学ばなければなりません。
あなたはあなたであり、他者は他者なのです。
同一視してはなりません。
人は、他者の課題を自分の課題だと思い込みます。
他者に干渉することによって、偽りの満足を覚えるのです。
多くの人が偽善によって幸福を身勝手に創造しています。
あなたが他者のためだと思っている行為は、他者の課題を邪魔する可能性があるのです。
誰も、他者からの行為を望んではいないのです。
他者からの行為を求めているのは、その人の抱える自我意識なのです。
弱い心が他者の行為を求めるのです。
あなたの真(本当の自分)は、自分で経験したいのです。
自我意識は課題を拒絶します。
しかしながら、真は課題を受け入れるのです。
あなたが問題(苦しみ)を拒絶するのであれば、あなたの主体は自我意識です。
あなたが問題を受け入れるのであれば、その主体は真なのです。
どちらの主体に従うかによって、あなたの受ける結果は異なります。
自我意識に従えば課題を増やし、真に従えば成長するでしょう。
他者との関係においても、あなたは常に自分の課題と向き合っていましょう。
他者の課題は、他者が自力で解決します。
あなたは自分の課題を疎(おろそ)かにしてはなりません。
あなたの、他者に対する手助けは、あなたの利己的な思い込みに過ぎません。
他者は自力によって課題を解決したのです。
それは、決して、あなたの功績ではありません。
あなたが他者の課題と向き合っている間、あなたの課題は放置されているのです。
都合良く、誰かが解決してくれることなどないのです。
誰もあなたの課題に触れることはできません。
そのことを覚えておきましょう。
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