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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2016年11月28日月曜日

課題の区別

人は、自分の課題を抱えています。
それは、問題であり、学びであり、成長であるのです。
あなたは自分の問題を抱え、自分の学びを経験し、自分の成長を実現するのです。
あなたは自分のために生きています。
あなたは自分のために人生に存在しているのです。
大切なのは、”これ”が自分の課題であるということです。
あなたには解決しなければならない課題があります。
あなただけが、その課題を体験することができます。
あなただけが、その課題を解決することができるのです。
どのような他者も、あなたの代わりにあなたの課題を解決することはできません。
”これ”は、あなたが自力によって果たさなければならないことなのです。
あなたには自分の課題があるように、他人には他人の課題があります。
人は人生において、それぞれの課題に向き合っているのです。
そして、それを解決する必要があるのです。
あなたは他人に課題を押し付けることはできません。
あなたの課題を他人が肩代わりすることもできません。
他人の課題を引き受けることもできないのです。
あなたは自分の課題と向き合わなければならないのです。
それは、どのような状況においてもそうなのです。
あなたは自分の課題と他人の課題を混同してはなりません。
抱えている問題が苦しく、あなたはそれを手放したいと考えるでしょう。
しかしながら、それを手放すことはできません。
他者の抱えている問題を不憫(ふびん)に思い、それを代わりに抱えてやりたいと思うでしょう。
しかしながら、他者の問題を引き離すことはできません。
それぞれの課題は、それぞれが成長するために必要な問題なのです。
それを拒絶したり、相手から奪おうとする行為は、人生を歪めることだと知らなければならないのです。
すべては必要であるために目の前に存在しているのです。
必要でなければ、それを所有している必要もないのです。
あなたは、すべてに意味が存在するということを知らなければなりません。
意味の無いものは存在しません。
あなたや周囲の人に理解することができない意味は存在します。
しかしながら、理解することができないからといって、意味が存在しないということではないのです。
あなたは苦しみます。
他者も苦しみます。
あなたはそれを受け入れる以外に方法はないのです。
自分のことなら我慢する覚悟のある者であっても、他者の苦しみには耐えられません。
しかしながら、他者が自らの課題を学ぶことへの邪魔は許されないのです。
人はそれぞれに学ばなければなりません。
あなたはあなたであり、他者は他者なのです。
同一視してはなりません。
人は、他者の課題を自分の課題だと思い込みます。
他者に干渉することによって、偽りの満足を覚えるのです。
多くの人が偽善によって幸福を身勝手に創造しています。
あなたが他者のためだと思っている行為は、他者の課題を邪魔する可能性があるのです。
誰も、他者からの行為を望んではいないのです。
他者からの行為を求めているのは、その人の抱える自我意識なのです。
弱い心が他者の行為を求めるのです。
あなたの真(本当の自分)は、自分で経験したいのです。
自我意識は課題を拒絶します。
しかしながら、真は課題を受け入れるのです。
あなたが問題(苦しみ)を拒絶するのであれば、あなたの主体は自我意識です。
あなたが問題を受け入れるのであれば、その主体は真なのです。
どちらの主体に従うかによって、あなたの受ける結果は異なります。
自我意識に従えば課題を増やし、真に従えば成長するでしょう。
他者との関係においても、あなたは常に自分の課題と向き合っていましょう。
他者の課題は、他者が自力で解決します。
あなたは自分の課題を疎(おろそ)かにしてはなりません。
あなたの、他者に対する手助けは、あなたの利己的な思い込みに過ぎません。
他者は自力によって課題を解決したのです。
それは、決して、あなたの功績ではありません。
あなたが他者の課題と向き合っている間、あなたの課題は放置されているのです。
都合良く、誰かが解決してくれることなどないのです。
誰もあなたの課題に触れることはできません。
そのことを覚えておきましょう。

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