あなたは苦しみを危惧(きぐ)する必要はありません。
	あなたの自我意識にとっては、苦しみは否定したいものです。
	それは、否定によって自我意識が強化されるからです。
	苦しみを受け入れることは、自我意識の衰退に繋がります。
	そのため、自我意識は苦しみを否定したいのです。
	”普通”の価値観では、苦しみは否定すべき対象です。
	苦しみを受け入れられる”普通”の人はいません。
	それは、”普通”の価値観というものが、自我意識によるものであるからです。
	”普通”の価値観は苦しみを否定します。
	それを受けない方が有利だと考えるのです。
	物事を感情的に判断するのであれば、苦しみは受けない方が有利だと思えます。
	しかしながら、そのような短絡的な判断であっては、本当の利益を損ねてしまうのです。
	あなたが選択しなければならないのは、本当の利益です。
	本当の利益というものは、簡単には手に入らないものです。
	あなたが有利だと”普通”に考えて辿り着く選択は、あなたにとっては本当の利益ではないということを知る必要があるのです。
	”普通”に考え付く選択肢は、自我意識による選択なのです。
	自我意識とはあなたの弱さです。
	弱さの選択とは、損失なのです。
	それは利益とは成り得ないのです。
	あなたは強さによって選択しなければなりません。
	強さによって選択するためには、”普通”を克服する必要があるのです。
	それは、苦しみを苦しみと断定しないことです。
	苦しみを喜びとしてこそ、その選択は強さによるものなのです。
	苦しみを喜びと考えることは普通ではありません。
	普通ではないことこそが、自我意識の解放なのです。
	あなたは、苦しみを否定した後に残るものを考えなければなりません。
	苦しみを否定した後に残るものは何でしょうか?
	苦しみを否定した後に残るものは”気楽さ”なのです。
	気楽さが導くのは”軽さ”や”薄(うす)さ”なのです。
	人の精神を考えなければなりません。
	気楽な状況ばかりを経た精神には、”重さ”や”厚み”を感じることができません。
	そのような精神は軽く薄っぺらいのです。
	苦しみを抱えない者は浮き草のようなものなのです。
	それは地に根差すことなく、大きく育つこともなく、大量の実を付けることもありません。
	風によって流され、波によって打ち上がり、干ばつによって滅ぶのです。
	それは、周囲の状況に左右されるということです。
	浮き草も役には経ちますが、地に根差すことがないために不安定なのです。
	そして、地に根差す樹木のようには役に立ちません。
	苦しみに会った時、気楽さを求める精神はそこからの逃避を考えます。
	苦しみを受け入れられない軽く薄っぺらい精神であっては、役に立たないのです。
	精神は苦しみによって地に根差すことができます。
	重さがなければ、役に立たないのです。
	苦しみを否定してはなりません。
	苦しみを知らない精神は詰(つ)まらないのです。
	苦しみを知らない人の価値観や人生訓は役に立ちません。
	それは余りにも軽く、薄っぺらい内容だからです。
	苦しみを抱える人の価値観や人生訓は大いに役立つでしょう。
	あなたが豊かな人生を望むのであれば、誰かや何かに貢献する必要があります。
	役に立たない者が豊かさを得ることはできないのです。
	残念ながら、自我意識に根差した”普通”の人間は役には立ちません。
	苦しみを克服した人間こそが役に立つのです。
	苦しみの回避法を教えるのは自我意識です。
	苦しみという重りは大切なものなのです。
	それを否定するのは損失なのです。
	利益や豊かさを求めているのならば、苦しみを否定してはなりません。
	苦しみこそがあなたを地に根差す最高の財産であるということを知らなければなりません。
	あなたは苦しみを受け入れ、それを克服する人の価値観や人生訓に学ばなければなりません。
	
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