人にとって、”今”とは問題です。
人が”今”に向き合うということは、問題に向き合うということなのです。
人が抱える問題とは何でしょうか?
それは自我意識そのものです。
自我意識とは弱い心です。
そこには、汚れと歪みが存在しています。
それは物事を屈折して解釈する価値観です。
自我意識というものは、物事を歪めて解釈するものなのです。
そのため、自我意識による解釈そのものが問題となるのです。
屈折した解釈をしなければ、問題が発生することはありません。
そこには満足が導かれるのです。
しかしながら、人は多くの自我意識を抱えています。
人生とは、自我意識の浄化を実現する時間です。
あなたの目的は自我意識を浄化することにあるのです。
そのためには、”今”に向き合わなければなりません。
”今”とは、自我意識が導き出す問題です。
”今”に生きるということは、自我意識の提起する問題と向き合うということなのです。
自我意識はあなたに不要なものではありません。
無意味に抱えているのでもありません。
自我意識は、あなたに問題を与えることによって、物事に対する解釈の屈折に気付かせようとしているのです。
大切なのは自らの解釈が屈折しているということを理解することです。
多くの人は自分が正しいと考えています。
自分が正しいと考えているために、外に敵を作って争うのです。
敵は”今”にあります。
それは、敵が問題であるからです。
誰にとっても、”今”に生きることは簡単ではありません。
問題と向き合うということは、自らの弱い心と向き合わなければならないからです。
多くの人がそれを拒みます。
誰もが、化膿(かのう)した傷口には触れたくないのです。
しかしながら、化膿した傷口は治療しなければなりません。
化膿した傷口を治療するためには、痛みに耐えて皮膚を裂き、膿(うみ)を出さなければならないのです。
あなたは”今”に向き合わなければなりません。
しかしながら、多くの人は”今”に向き合うことを恐れ、過去や未来に逃げ込みます。
多くの人が未来を望むのは、”今”という場所からの逃避であるのです。
未来を望むということは、”今”の否定です。
もしも、”今”に満足しているのであれば、未来を望むことはないのです。
”今”を受け入れられないすべての人が未来を望んでいるのです。
多くの人が時間が問題を解決してくれると思い込んでいます。
しかしながら、時間があなたの問題を解決する義理などないのです。
どうして、時間があなたのために尽力しなければならないのでしょうか?
あなたが未来を得ようとも、問題は何も変わらずにそこにあるのです。
時間が問題を解決してくれるように感じるのは、時間を経ることによって何かを経験し、思考し、改めたからに他なりません。
時間を経ることによって成長したのです。
そのため、成長することによって問題が解決されたのですが、同時に時間を消費しているために、時間が問題を解決したのだと思い込んでいるのです。
自力によってのみ、問題は解決します。
時間が問題を解決することはありませんし、誰かや何かの外的要因が問題を解決することもありません。
如何(いか)なる他人も、あなたの問題には関係ないのです。
親兄弟であろうとも、あなたの問題には関係ないということを理解する必要があるのです。
そうでなければ、あなたは”今”を拒んでしまうでしょう。
誰かや何かが良い方法を見付け出し、いつか問題を解決してくれるなどという淡い期待に胸を躍(おど)らせてはならないのです。
あなたが”今”に向き合い、自らの抱える自我意識を浄化することがなければ、どのような小さな問題も決して解決することはないのです。
過去に隠れることも、未来に期待することもやめましょう。
あなたには、理想の未来はやって来ません。
理想とは違っても、あなたが未来へと向かって歩むのです。
どのような問題も問題としてはなりません。
それは、自我意識に過ぎないのです。
どのように大きく見える問題も、あなたの胸の中に収まっているのです。
そのことを忘れないようにしておきましょう。
自らを改めること以外の方法では、決して問題は解決しません。
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