人は常に選択しています。
	人は常に状況に対して選択を迫られ、何かを選択しているのです。
	あなたは常に何かを選択しています。
	人は選択を否定することはできません。
	一方を選択することは他方を選択しないことであり、他方を選択するということは一方を選択しないということなのです。
	どちらにしてもあなたは必ず何かを選択しているのです。
	人が何かを選択するためには、それを決定する基準が存在しています。
	大抵の場合、それを決めるのは道徳的な基準です。
	道徳は善悪を決めます。
	大抵の場合、人は自らの考える善を選択するのです。
	そして、自らの考える悪を否定します。
	人は、自らの考える善を選択することによって人生を形成しているのです。
	大抵の人が善悪の基準を所有しています。
	あなたの内にも、善悪を分ける思考があるはずです。
	人は誰もが集団の中に生きています。
	集団を形成、維持するためには道徳が必要です。
	集団はある基準によって行動しなければ、その繋がりを保つことができないのです。
	善悪の基準が異なっていれば、集団を形成することはできません。
	人の形成する集団は、善悪の基準に従っているのです。
	善悪の基準が異なれば、あなたは誰とも集団を形成することはできないのです。
	大抵の人が善悪の基準に従います。
	あなたの人生の選択は、善悪の基準に従っているのです。
	あなたは自らの信じる善を選択し、自らの信じる悪を否定するでしょう。
	あなたの現状とは、自らの信じる善そのものなのです。
	あなたの目の前に広がっている現状は、あなたにとっての善です。
	すべての人が自らの信じる善を受け取っているのです。
	すべての人が満足し、すべての人が幸福を享受(きょうじゅ)しているはずです。
	あなたは目の前の現状にどのような感想を覚えるでしょうか?
	あなたは満足し、幸福を感じているでしょうか?
	残念ながら、多くの人が不足を感じ、苦悩を生きていることでしょう。
	多くの人が現状を嘆(なげ)き、不満や不安を抱えながら生きているのです。
	人生とは選択の結果です。
	人生が不正を働くことはありません。
	この世界には因果の仕組みが存在しているのです。
	現状は自らの信じる善そのものです。
	多くの人は自らの信じる善に苦悩しているのです。
	多くの人は矛盾を抱えているのです。
	なぜでしょうか?
	人はなぜ、自らの信じる善の結果を受け取っているにもかかわらずに、それに苦悩しているのでしょうか?
	それは、そもそも、善悪の基準が間違っているということが考えられるのです。
	善悪の基準は、あなたの人格によって判断されています。
	あなたの人格の程度が、善悪の基準を決めるのです。
	未熟な人格の善悪の基準と、成熟した人格の善悪の基準には大きな隔たりが存在しています。
	愚者と賢者では、判断が異なるのです。
	経験の乏しいあなたと、多くの経験を積んだあなたでは、善悪の基準と人生における判断は大きく異なるのです。
	人生はあなたの選択によって決まります。
	あなたの善の形が人生を決めるのです。
	(大抵の人が善を選択するため)
	あなたは何を善とし、何を悪とするでしょうか?
	その基準が選択を決めるのです。
	理想は善悪の判断を手放すことです。
	しかしながら、それは容易なことではありません。
	あなたの未熟な人格は、必ず善悪を決めたがります。
	そのため、善悪の判断を手放すことを義務とする必要はありません。
	ただ、未熟な善悪の基準には気を付けなければなりません。
	人生はあなたの判断を如実(にょじつ)に現します。
	あなたが苦悩を抱えているのであれば、善悪の基準が未熟であるということなのです。
	苦悩を抱えるのであれば、善悪の基準を見直しましょう。
	
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