すべての存在は不安定です。
どのような存在も決して止(とど)まりません。
すべてが流転し続け、決して固定されることはないのです。
固定されているように見えるものであっても、それは決して固定されてはいません。
その集合はいつでも分離(解散)し、別々に集合するのです。
それがどのような集合であれ、安定しないのが自然です。
自然界においては、何一つとして固定されているものはないのです。
そして、あなたには、何一つとして固定することはできません。
どのような集合も必ず分離します。
それを食い止めることなどできないのです。
すべては”必要”に応じて集合し、分離します。
必要とは学びのことです。
どのような集合や分離にも、あなたにとっての学びが潜在しています。
あなたは学ぶために集合し、学ぶために分離するのです。
即ち、すべての感情は学びのために存在しているのです。
あなたの集合に対する感情は、学びのために存在します。
何かに好意を抱き、そこに接着したいと起こる感情は、学びを必要としているだけなのです。
決して、好意の対象に対する感情ではありません。
例えば、あなたが他者に対する好意を抱いていたとしても、それは他者を通じて得られる学びを実現するための感情”操作”であり、他者という存在そのものに感情を抱いている訳ではないのです。
そのため、好意を抱いて集合した人間関係も、その学びの消滅と共に分離することになるのです。
あなたは学びに従うことはできますが、他者に従うことはできないのです。
多くの人は感情を”自分”が生み出すものだと思い込んでいます。
多くの人は感情を選択することができると思い込んでいるのです。
しかしながら、感情というものは学びに付属している”接着剤”であり、あなたが所有しているものではないのです。
学びを得るということは、自我意識と向き合うということです。
学びを経験することによって自我意識を認識し、それを解放することができます。
自我意識が解放された状態を成長というのです。
自我意識が解放されることによって、同時に学びも解消されます。
あなたの他者に対する好意が急速に失われるのは、自我意識が失われたからに他ならないのです。
感情を司るのは自我意識です。
自我意識が学びに反応しているのです。
そのため、学びか自我意識が失われるのならば、(そのレベルの)感情も失われるのです。
多くの人は感情が主体であると考えています。
そのため、感情に翻弄(ほんろう)されます。
感情が人に苦悩を導いているということに気が付かないのです。
冷静に見つめれば、どのような苦悩も消滅します。
感情が荒立つために、苦悩という問題が引き起こされているのです。
あなたは、すべてが幻想に過ぎないということを知りましょう。
あなたの目の前には現実という名の”今”が存在していますが、その”今”も限定的な学びに過ぎないのです。
学びが消滅すれば、”今”も消滅します。
そして、”今”は過去という幻想に形を変えるのです。
過去は分離です。
未来も分離なのです。
あなたが”今”に生きる(意識を合わせる)時、そこには集合が存在しているのです。
あなたにとっての現実(集合)は”今”に限定されます。
しかし、それも常に流転しているのです。
あなたは、すべての存在が不安定であるということを覚えておかなければなりません。
何一つとして止まりません。
何一つとして止めることはできません。
すべてが幻想であるということを知り、何かに執着することをやめましょう。
不安定な場所に立ち竦(すく)むのであれば、足場が崩れて落ち込んでしまうということを覚えておかなければなりません。
すべてが不安定だと理解し、集合を離れましょう。
そして、再び集合するのです。
集合と分離を繰り返すことは、一歩一歩を踏み出す歩みのようです。
歩むことは不安定なことです。
歩むことには転ぶ危険もあります。
しかしながら、歩まなければ苦悩に落ち込むということを覚えておきましょう。
逆を言えば、歩めば苦悩は無いということを覚えておきましょう。
苦悩している者は歩みましょう。
人生とは、ただ、それだけのことです。
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