あなたは、認識が世界を作るということを知りましょう。
世界が存在しているのではありません。
あなたが世界を存在させているのです。
あなたの認識が及ばないものは、”あなたの世界には”存在しないのです。
他人があなたの知らないものを知っているのは、その知っているものに対する認識があるためです。
他人もそれを知らなければ、同じように存在しないのです。
認識によって、世界は広がるのです。
未知が存在しています。
あなたには知らないことが山程あるのです。
それは、認識によって世界が広がっていないということを意味しています。
世界は広いのです。
しかしながら、多くの人は小さな世界に生きているのです。
それは認識が小さな範囲に限定されているためです。
認識が小さな範囲に限定されるのであれば、少ない知識で結論を導き出さなければなりません。
あなたは認識の範囲でしか世界を見ることはできないのです。
その判断は未熟なものであるのです。
少ない材料によって何かを作らなければならない時、それに満足のいく出来上がりは望めません。
知識、技術、材料によって、満足度は変わるのです。
未知の知識、技術、材料によって、より満足のいく出来上がりが望めるのです。
多くの人は認識が世界を作るということを知りません。
そのため、小さな認識の小さな世界に満足を望みます。
しかしながら、それには限界があるのです。
あなたはすぐに満足することができなくなるでしょう。
小さな世界であっては、あなたはすぐに苦しむことになるのです。
そのため、人は広く世界を求めなければならないのです。
鉢の中に根付く樹木は、小さな鉢を世界とします。
それは、根の広がりを限定します。
それは、根の自由を奪います。
それは、空気と水と栄養の吸収を妨げます。
根の広がりを限定された樹木は小さく育ちます。
そして、徐々に弱っていくのです。
樹木が大きく、豊かに育つためには、根をどこまでも伸ばし続けなければならないのです。
根の成長が限定されると、樹木は大きく豊かに育つことはできないのです。
あなたは認識を大きく豊かに育まなければなりません。
小さな認識の中に閉じ籠(こも)り、無知のままに生きてはならないのです。
あなたの人生においては、あなたが有ると思うものは有り、無いと思うものは無いのです。
有無の判断は認識によって下されます。
小さな世界に引き籠るように生きている者には、豊かな想像力は望めません。
無知な者は簡単に否定します。
無知な者は未知に対して恐れているのです。
それは自我による影響です。
魂の汚れの集積である自我は、あなたの内にあって、あなたと寄り添うように存在しています。
大きく分けて、あなたは二つの性質を持っているのです。
それは、強い心と弱い心です。
弱い心が未知を恐れ、否定するのです。
弱い心は変わりたくありません。
それは変わることを恐れているからです。
弱い心は何に対しても恐れています。
認識を広めることによって、自らの立場が脅(おびや)かされるということを恐れているのです。
そのため、弱い心は必死に抵抗します。
しかしながら、多くの人は内に別の自分が存在しているということを認識しません。
弱い心を自身と同一視することによって、別の自分の存在を隠しているのです。
人生の目的である成長を実現するためには、弱い心を克服しなければなりません。
魂の汚れを拭い去るのです。
そのためには、魂が汚れていることを認識する必要があります。
自分の内に弱い心が存在することを認識する必要があるのです。
認識することができれば、問題は解決します。
問題は認識の及ばないところにあるのです。
根を伸ばせば樹木は活力を得ます。
認識を広めれば人生は豊かさを得るでしょう。
未知を恐れずに、無知であることを恐れましょう。
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