人は、他人との親密化を図ります。
それは、人が独りでは生きていけないからです。
すべての人は他人を必要としています。
それは、他人によって多くのことを学ぶことができるからです。
人は、他人という存在を通じて、自分を学ぶのです。
他人はあなたに”あなた”を教えます。
あなたは他人によって自分を知ることができるのです。
しかしながら、あなたが他人によって知ることができるのは自我意識という自分です。
あなたは他人によって真(まこと)(本当の自分)を知ることはできません。
あなたが他人によって知ることができるのは、自分が自我意識であるということだけなのです。
あなたは、他人を通じて自らの抱える自我意識に気が付くでしょう。
しかしながら、多くの人はそのことに気が付きません。
多くの人は自我意識を自分だと思い込んでいるのです。
多くの人にとっては、自分である自我意識を大切にしています。
それは、他人を通じて親密になることができるのです。
そのため、人は他人との親密化を図るのです。
それは、自我意識との親密化です。
あなたは他人と親密になっていると考えているでしょうが、本当は他人を通じて接触する自分自身の自我意識と親密になっているだけなのです。
多くの人にとって、他人は欲望の苗床(なえどこ)でしかありません。
多くの人は欲望の苗床を友人と呼ぶのです。
あなたは友人と共に時間を過ごす時に、普段は抑えている欲望が頭をもたげるのに気が付くでしょう。
それは、他人(友人)によって自我意識が強化されたからです。
あなたは他人と親密になることによって、集団(社会)的自我意識に触れます。
独りでは何も出来ない愚者が、仲間を引き連れていると傲慢(ごうまん)な態度を取ることがあります。
それは、愚者の自我意識が集団(社会)的自我意識によって強化された姿なのです。
自我意識が成長するためには、他人という存在が必要です。
欲望に訴えることによって自我意識は成長するのです。
欲望の苗床である他人という存在は、自我意識にとっては恰好(かっこう)の住処(すみか)なのです。
そのため、自我意識は他人を求めます。
自我意識は他人を必要とします。
何をするにしても、他人が必要なのです。
自我意識は独りを嫌います。
それは、独りでいることは真(本当の自分)との親密化を図る行為だからです。
真との親密化は、自我意識の衰退を意味します。
そのため、自我意識にとっては、人が独りでいることは問題となるのです。
自我意識はあなたに恐れを与え、他人を求めるように仕向けます。
自我意識を自分だと思い込んでいる多くの人は、そうやって他人に依存していくのです。
あなたは必ずしも、他人と親密になる必要はありません。
それは、自我意識を強化すれば、同時に苦悩も強化されるからです。
多くの人が他人と親密になることを美徳とする教育を受けます。
自我意識による親密化は、欲望と恐れの強化に繋がるだけであり、あなたが本当に求めている結果を得ることはできません。
自我意識によっては、あなたが本当に求めている結果は得られないのです。
真(本当の自分)の目的は、自我意識を解放し、真(本当の自分)に向き合うことです。
あなたは真(本当の自分)に向き合わなければならないのです。
自我意識の強化に繋がる人間関係はあなたの”光”を奪うでしょう。
あなたは自我意識によって他人と親密になってはなりません。
あなたは真(本当の自分)によって他人と親密になるように努めるのです。
そのためには、恐れを克服しましょう。
恐れを抱えていれば、あなたの自我意識が頭をもたげ、他人という苗床で欲望を育てるでしょう。
無意識の内にあっても、他人と欲望によって繋がってはなりません。
真(本当の自分)の目的を見失ってはなりません。
あなたは他人から自分の抱える自我意識を学びましょう。
自我意識は、他人に欲望を投影します。
あなたは自我意識の欲望と真(本当の自分)の目的を混同してはなりません。
他人との親密化に対して、冷静さを失ってはなりません。
必ずしも、他人との親密化が必要ではないということを覚えておきましょう。
民族、家族、兄弟、友人、恋人、敵・・・
これ等の”言葉”に騙されてはなりません。
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