すべての人は自分自身を特別視しています。
誰もが自分を特別な存在だと思っているのです。
人生の主役はあなたです。
それは、これがあなたの人生であるからです。
しかしながら、主役は脇役によって存在が許されるということを忘れてはならないのです。
すべては相対的に成り立っているのです。
脇役の存在がなければ、主役という存在はありません。
あなたが独りであるのならば、あなたが主役であることはできないのです。
脇役の存在が主役の存在を実現するということを覚えておきましょう。
あなたが主役として人生を”演じ”たければ、脇役を大切に扱いましょう。
大抵の人は自分が人生の主役であるということに、薄々感付いています。
あなたは主役ではありますが、主役でありたいと願うのです。
しかしながら、多くの人は自分という存在に自信が持てません。
自分という存在の意義を見出すことができず、欲求が満たされないのです。
多くの人は主役になりたいという願望を抱えています。
誰かに認められたい、大切にされたい、注目されたい、褒めて欲しい、人気を得たい・・・
このような願望は、自信の喪失(そうしつ)から導き出される心の不足なのです。
それは、嫉妬や恨みなどの歪んだ感情に繋がるでしょう。
誰かや何かに嫉妬や恨みの感情を抱く人は、自信を喪失しているということを知る必要があるのです。
自分自身に対して自信を得ることができれば、人が主役でありたいという願望を手放すことができます。
主役でありたいという願望は脇役の価値を認めず、脇役を主役である自分のために利用するようになるのです。
そこには利己的な生き方が導かれるのです。
心に不足を抱えている人は、その不足を満たそうとする余り、利己的に生きる以外に方法はなくなるのです。
利己的な生き方は視野を狭めます。
狭い視野で生きるということは、可能性を潰すということなのです。
それは益々心の不足を育む結果となるのです。
あなたは人生の主役です。
どのような人生を生きていようとも、あなたが主役であることに違いはないのです。
人生という物語には、起承転結(きしょうてんけつ)の流れがあるのです。
現在がどのような状況や状態であろうとも、それは人生という全体の一場面に過ぎないのです。
主役は様々な場面を生きなければなりません。
主役であるあなたは、苦しみや悲しみも引き受けなければならないのです。
主役はすべての場面を生きる必要があるのです。
あなたが苦しんでいるのは、あなたが人生の主役であるからです。
脇役は苦しみません。
他人があなたの苦しみを引き受けることはできません。
それは、他人があなたの人生の脇役に過ぎないからです。
主役であるあなたは、既に主役であるのです。
主役になりたいという願望は必要ではないのです。
あなたは、必ずしも誰かに認められる必要はありません。
あなたは、必ずしも誰かに大切にされる必要はありません。
あなたは、必ずしも誰かに注目される必要はありません。
あなたは、必ずしも誰かに褒められる必要はありません。
あなたは、必ずしも誰かから人気を得る必要はないのです。
歪んだ願望を保持し続けていれば、あなたは人生の目的を見失ってしまいます。
そして、自分が主役であることを脇役である他人に認めさせることに時間と労力を費やす人生を生きることになるのです。
あなたは独りで生きなければなりません。
主役とは独りなのです。
独りとは、独立自尊の精神です。
孤立のことではありません。
独りで立つこともできない者は、満足に主役を勤めることはできません。
脇役に媚(こ)び諂(へつら)うような人生を生きるでしょう。
あなたは主役として、この人生を生き抜きましょう。
脇役である他人を大切に扱い、自分自身に対する特別視を手放しましょう。
あなたは、人生を始めた瞬間から特別な存在です。
今更特別視される必要はないのです。
輝き方を間違えてはなりません。
あなたにとって必要なことは、自分自身の価値を認めるということだけなのです。
他人にあなたの価値を認めさせることなど必要ないということを覚えておきましょう。
主役と脇役は相対的な立場であるために、価値は同等なのです。
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