すべての人は幸福を求めています。
	それぞれの人に、それぞれの幸福が存在しています。
	それがどのような幸福の形であれ、幸福を求める気持ちに変わりはないのです。
	あなたにも自らの求める幸福の形があるはずです。
	あなたはそれを求めれば良いでしょう。
	しかしながら、幸福の形は無限の広がりを見せます。
	あなたの求めている幸福の形がすべてではありません。
	他人の求めている幸福の形は、他人にとっての幸福なのです。
	あなたの求める幸福の形も、常に変化しています。
	それは、あなたの意識レベルに従って変化するのです。
	意識レベルとは、認識の幅だと考えれば良いでしょう。
	あなたが世界を知る程に、意識の状態は上昇します。
	あなたが世界を知らなければ、意識の状態は停滞するか下降するのです。
	世界を知るということは、知恵を付けるということです。
	それは、知識と経験と実践を経ることによって身に付きます。
	あなたが知識と経験と実践を経ることによって、世界への理解は深まるでしょう。
	知識と経験と実践が乏しければ、世界を理解することはできないのです。
	それが、無知という状態です。
	無知とは、知識と経験と実践の乏しい状態です。
	多くの人は大切なことを知りません。
	例えば、人生が何であるのか?ということを知りません。
	あなたが人生を生きる上では、最も重要な問いであるはずです。
	しかしながら、最も重要な問いであるはずの、人生とは何か?という問いを追求することはありません。
	日銭を稼ぎ、人間関係に執心(しゅうしん)し、”思い出作り”に専念しているのです。
	それを無知と言うのです。
	無知であれば、幸福は容易いのです。
	それは、無知である程に世界が狭いからです。
	無知な者は幸福を自らの判断によって決めることができます。
	それは、何も知らないからです。
	自己満足に浸っていれば良いのです。
	狭い世界を生きるすべての子どもが、自己満足の幸福に浸っています。
	客観的に見ても決して満足のいく状況ではないのに、主観によって自分に満足を押し付けるのです。
	無知な者にはそれでも幸福感を味わうことができます。
	しかしながら、少しでも知恵が付けば、忽(たちま)ちの内にその幸福は脆(もろ)くも崩れ去ってしまうのです。
	すべての人は無知を抱えています。
	そのため、幸福の形は変化するのが自然です。
	しかしながら、多くの人が自らの求める幸福の形が最高のものだと考え、それを手放すことを恐れているのです。
	知恵が付けば無知は失われます。
	無知の幸福の形は、知恵の幸福の形とは異なるのです。
	そのため、あなたが知識と経験と実践を経ることによって幸福の形を変化させた時、古い幸福の形は使い物にならないのです。
	その時には、あなたは古い幸福の形を手放さなければなりません。
	使い物にならないものに執着しても時間の無駄なのです。
	大切なのは切り替えることです。
	仕事や人間関係や状況や環境に捕らわれてはなりません。
	あなたはそれ等を手放さなければなりません。
	知恵が付けば我慢することができなくなるのです。
	過去に執着することは何の価値も導きません。
	あなたは過去を捨てて、今に生きるのです。
	無知の時の幸福の形を捨てて、新しい幸福の形を追求する必要があるのです。
	多くの人は古い意識レベルに止まります。
	周囲を見渡してみましょう。
	多くの人が何年、何十年と同じレベルの思考によって、同じレベルの言葉を吐き、同じレベルの行為によって、同じレベルの幸福を得ているのです。
	それは、世界の広がりが無いということなのです。
	世界の広がりが無いということは、意識の向上もありません。
	意識の向上の無い人生には何も期待することができません。
	そこには何も無いのです。
	変化しない人の人生は虚無であるということを覚えておきましょう。
	無知を克服し、知恵を求めましょう。
	そうすることで、幸福の形を変化し続けましょう。
	
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