あなたは、自分の道を進み続けなければなりません。
	自分の道とは、理想の道のことではありません。
	あなたの心の奥底から導かれる欲求によって実現する現実の道です。
	現実の道こそが自然の道なのです。
	あなたの目の前の現実は、あなたにとっての必要であり、あなたは常に自然の道に誘(さそ)われています。
	しかしながら、多くの人は理想の道を歩みたがります。
	それは、思考が導く欲求によって実現される不自然な道です。
	思考とは、教育によって形作られた楼閣(ろうかく)です。
	それは、砂上に建設されているのです。
	多くの人が思考に従って理想を追い求めます。
	しかしながら、それは不自然な道であるために、最終的には崩れ去ります。
	理想を追い求めて残るのは、苦悩だけなのです。
	人は自然の産物です。
	あなたは、自然の存在なのです。
	それを教育によって歪めてはなりません。
	教育とは、人が自然を知るためにあるべきなのです。
	自然とは、自分らしく在るということです。
	人は教育によって、理想を手放し、現実と向き合うべきなのです。
	現実と向き合うために教育があるのです。
	不自然な理想を追うために教育があるのではありません。
	履き違えてはならないのです。
	現実には多くの壁が存在します。
	例えば、他者という障壁が存在するのです。
	人が自然を生きるためには、他者との摩擦(まさつ)を避けることはできません。
	それは、通過儀礼(つうかぎれい)のようなものです。
	人が不自然を離れ、自然を得るためには、様々な壁を乗り越える必要があるのです。
	様々な他者との関わりによって、多くのことが制限されます。
	他者によって状況が築かれ、他者によって環境が築かれます。
	あなたが自然を生きるためには、他者という障壁を乗り越える必要があります。
	しかしながら、他者とは別の存在ではありません。
	他者とは、自分自身なのです。
	自分自身を反映しているのが他者です。
	あなたは他者によって自分自身を体験するのです。
	あなたの道を邪魔する相手は、自分自身の内に存在する障壁を現しているのです。
	自分自身の内に、自然を生きるための邪魔が存在しているために、他者を通じてそれを教わっているのです。
	多くの人が、自分自身の問題を他者の責任としているのです。
	自分が自然を生きられないのは、自分の責任です。
	自分自身が弱いために、自然を生きられないのです。
	あなたは、自分自身の弱さと向き合い、それと闘わなければなりません。
	他者と争ってはなりません。
	自分自身と闘うのです。
	多くの人は摩擦を嫌います。
	しかしながら、自然を生きるためには摩擦は避けられません。
	何があっても突き進む覚悟がなければ、自然を生きることはできないのです。
	闘いを恐れてはなりません。
	他者と争うのではありません。
	自分自身の弱さと向き合うのです。
	そのため、敵は存在しません。
	敵が存在しないのであれば、恐れる必要はないのです。
	摩擦とは苦しみです。
	しかしながら、人は摩擦によって前進することができます。
	苦しみが存在しなければ、あなたは前進することができないのです。
	苦しみに向き合い、自分の道を切り開きましょう。
	他者からの承認(しょうにん)を求める必要はありません。
	誰からも認められる必要はないのです。
	認めてくれる人もいれば、認めてくれない人もいて良いのです。
	それが自然です。
	あなたは、自分の道を進み続けなければなりません。
	どのような壁も乗り越えて、自分(自然)に成りましょう。
	
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