これは、あなたの人生です。
	あなたは自分を知るために生きています。
	自分を知り、改めるために人生があるのです。
	しかしながら、自分を知ることは簡単ではありません。
	鏡が無ければ自分の姿を知ることができないように、あなたは自分以外の存在を通じてのみ自分を知ることができるのです。
	人は独りで生きています。
	しかしながら、独りでは生きていけません。
	人は、誰かや何かを通じてしか、人生の意義を見出すことができないのです。
	あなたは誰かや何かを通じて自分を知り、改める必要があるということを覚えておきましょう。
	あなたは自分のために生きていますが、自分のために生きるためには、他者のために生きなければなりません。
	誰かのために生きることによって、それが後に自分のためになるのです。
	それは、誰かを通じて自分を知ることができるからです。
	多くの人が自分のために生きています。
	自分の利益のために行為しているのです。
	しかしながら、自分のための行為には限界があります。
	それは、直ぐに飽きてしまうのです。
	独りでは食べ切れない食事も、誰かと分け合えば足りません。
	自分のために何かを行っても、それによって知ることのできる自分には限界があるのです。
	あなたが他者のために行為する時、それは自分のための行為に勝ります。
	あなたは、他者を通じてより深く自分を知ることができるのです。
	そのため、あなたは自分を知るために生きていますが、そのためには他者のために生きなければならないのです。
	しかしながら、優しい人もいます。
	そのような人は、自分を知る目的のために、他者のために生きているということを忘れます。
	そして、本来の目的を忘れ、他者のためだけに生きようとするのです。
	あなたが他者のために生きるのは、自分を知るためです。
	それ以上の目的はありません。
	そのため、他者に依存することには注意しなければならないのです。
	多くの人が目的を見失って、他者に依存するように生きています。
	自分を知るという目的を見失い、他者のためだけに生きているのであれば、そこには矛盾が導かれ、苦悩に至(いた)るのです。
	本来の目的を見失ってはなりません。
	人は、様々な一面を所有しています。
	一口に自分と言っても、それは複雑な形をしているのです。
	そのため、自分を知るということは、その複雑な形を理解するということなのです。
	あなたは相手によって役割を演じる必要があります。
	あなたは、相手によって自分を使い分けています。
	それは、その相手によって自分を異なる角度から観察しているようなものなのです。
	そのため、あなたは相手によって態度を変えます。
	相手によって態度を変えることを嫌う人もいますが、それを避けることはできません。
	相手によって態度を変えることは、自分を知る好機であるということを知らなければならないのです。
	そのため、あなたの”珍しい”態度を引き出してくれる相手を蔑(ないがし)ろにしてはならないのです。
	例えば、あなたの怒りを引き起こす相手に対して、それを無下(むげ)に扱ってはなりません。
	多くの人は、そのような相手を拒絶します。
	しかしながら、その相手だからこそ、あなたの”珍しい”一面を引き出すことができたのです。
	他の相手にはできないことなのです。
	あなたが自分を知るためには、その相手の手助けが必要不可欠であるということなのです。
	あなたが好意を抱く相手は、あなたの既に知っている一面を引き出すのが精一杯です。
	それでは、あなたが自分を知ることはできません。
	多くの人は、自分にとって都合の良い相手とばかり連れ立ちます。
	多くの人が、気の合う相手とばかり伴(ともな)うのです。
	そして、自分の知らない一面を引き出してくれる相手を除外するのです。
	それが、人生の目的に反しているということには気が付きません。
	それが、どれほど愚かな行為であるのかを知る必要があるのです。
	どのような相手も、必ずあなたを教えてくれる存在です。
	相手は、あなたの一面そのものなのです。
	あなたは相手を自分の一面だと理解しましょう。
	相手は自分なのです。
	そのため、相手のために生きることは、自分のために生きることなのです。
	相手によって態度が異なることを恥じてはなりません。
	それは必要なことなのです。
	嫌いな人と無理に仲良くしろとは言いません。
	しかしながら、それを許し、そこから大切なことを学びましょう。
	
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