人生とは、長い旅路です。
人生を短絡的に考えてはなりません。
人生に対して、全体性を失っては、その判断を誤ることになるのです。
人生とは、全体です。
人生における部分的な状況や時期を取り出し、それを人生だと考えてはならないのです。
多くの人は、部分的な状況や時期を人生だと思い込んでいるのです。
人生は、最後まで判断することはできません。
部分的な情報によって判断することができるほど、人生は単純なものではないのです。
残念ながら、あなたは”今”にしか生きることができません。
過去も未来も幻想であり、錯覚です。
過去や未来はどこにも存在しません。
あなたが過去や未来を強く求めたとしても、それを生きることはできないのです。
あなたに与えられているのは”今”という時(空)間だけなのです。
人は”今”という視点しか持ちません。
人が認識することができるのは”今”という限定的なものなのです。
そのため、人は部分的な視点に捕われてしまいます。
部分的な視点に捕らわれるために、短絡的に考えてしまいます。
また、部分的な視点に捕らわれるために、過去や未来を妄信(もうしん)しているのです。
大切なのは、”今”という限定的な視点の連なりを知ることなのです。
人生は、”今”の連続に過ぎません。
あなたの臨終(りんじゅう)まで、”今”は連続します。
そこには、過去も未来も存在しません。
あなたが体験しているのは”今”という現実です。
過去や未来は妄想なのです。
あなたは”今”という現実に生き、そこに連続性を見出す必要があるのです。
多くの人は、現実と妄想を織り交ぜます。
そのため、人生は”今”の連続であるにもかかわらず、短絡的な判断を下してしまうのです。
多くの人は簡単に諦めてしまうでしょう。
人生を短絡的に考えている人は、持続力を得ません。
人生を短絡的に考え、妄想を抱いているために、絶望を覚えてしまうのです。
実際には、人生は最後まで判断することができません。
そのため、絶望する必要も、諦める必要もないのです。
多くの人は、勝手な判断によって継続を投げ出します。
多くの人は、火種が急に燃え上がることを知らないのです。
燻(くすぶ)っている時には、煙が立ち込めます。
それは、目に刺さり、肺を焼きます。
多くの人は、その苦しみに耐えられないのです。
しかしながら、炎が燃え上がるためには、燻(くすぶ)る必要があるのです。
燻っている火種を育むことによって、炎が燃え上がるのです。
多くの人は短絡的な考えに従っています。
そのため、煙を嫌って、その場を離れます。
そして、火種は消えてしまうのです。
多くの人が簡単に諦めています。
あなたは何のために生まれたのでしょうか?
何のために生きているのですか?
人生の意味を考えなければなりません。
何も成し遂げず、燻って死んでいくのであれば、それでも良いでしょう。
しかし、そんなことのために生まれたのでしょうか?
有名に成れと言っているのではありません。
自分がやりたいことや決めたことなら、飽きるまでやり尽くせと言っているのです。
惨(みじ)めな気持ちで諦めてはならないのです。
満足して諦めなければならないのです。
完全燃焼によって満足することができます。
燻っている不完全燃焼であれば悲惨です。
あなたには、自分がやりたいことがあるはずです。
無いとは言わせません。
自分を偽ってはなりません。
判断を急がず、困難に会っても怯(ひる)まず、やりたいことをやり尽くしましょう。
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