人は、誤解を生きています。
すべての人は誤解を所有し、それを正しいと錯覚して生きているのです。
残念ながら、すべてが誤解です。
人の判断に正しさはありません。
あなたは自分が正しいと思うでしょうか?
あなたは、誰かを正しいと思えるでしょうか?
あなたが何かを正しいと考えるのであれば、それが錯覚に過ぎないことを理解する必要があるでしょう。
あなたは未熟であることを定められています。
人生において、あなたが極まることはありません。
どのような人物であっても、常に未熟を所有するのです。
そのため、誰一人、決して正しくはありません。
しかしながら、人は正しさを信じたいと願います。
それは、理想として現れます。
しかしながら、現実には何一つ正しいことはないのです。
そのため、多くの人が錯覚と向き合いながら、誤解を深めているのです。
誤解が深まれば、それを心地好いと思い込むのが人間です。
人は、何事にも慣れてしまうのです。
”住めば都”という言葉がありますが、どのような誤解もそれが正しいと思い込んでしまうのです。
そのため、多くの人は自分が正しいと思い込みます。
そして、自分が信じていることや人物が正しいと思い込むのです。
そこには歪んだ信仰が生じます。
人は、その信仰が歪んでいようとも、それを心地好いと思い込むのです。
あなたがどれだけ気に入っていたとしても、それは誤解によって生じた錯覚です。
そこに豊かさは導かれないのです。
多くの人は、人生に豊かさを導くこともない信仰に陶酔(とうすい)しています。
”奴隷の鎖自慢”という言葉があるのです。
多くの人は、自分が誤解の鎖によって繋がれた奴隷であるということを知らないのです。
自分が正しいと思い込んでいる間は、自分が奴隷であるということに気が付きません。
鎖に繋がれている奴隷が豊かに生きることはできないのです。
豊かさでもないものを、豊かさだと錯覚してはなりません。
あなたは目を覚まさなければならないのです。
現在、あなたが正しいと思い込んでいるのは、誤解の鎖です。
あなたは自らの歪んだ信仰によって自由を失っています。
しかしながら、自分ではそのことに気が付くことができないでしょう。
そのため、気が付くまで苦しむ必要があるのです。
誤解の鎖が肉に食い込み、腐って落ちるまで、誤解の鎖に囚(とら)われていましょう。
肉が腐り落ちれば、誤解の鎖から解き放たれるでしょう。
人は、一度信じたものを簡単には手放しません。
人は融通(ゆうずう)が効かず、頑固です。
そのため、苦しんで失うまでは変わらないのです。
不自由な奴隷でいるよりは、肉が腐り落ちても自由を得る方が良いでしょう。
あなたは何のために生まれたのですか?
あなたは何のために生きているのでしょうか?
そのことを考えなければなりません。
誤解の鎖が気に入っていたとしても、それを手放しましょう。
あなたが執着すべきものは何一つとして存在しないのです。
いつまでも誤解に囚われていてはならないのです。
現状は、あなたのお気に入りの結果なのです。
あなたの選択が現状を導くのです。
あなたの選択は、あなたが気に入っているために行われるのです。
現状は、あなたが自分自身で導いたものなのです。
鎖を自慢している場合ではありません。
あなたには、生まれた理由があるのです。
あなたには、生きている理由があるのです。
忘れてはなりません。
何事にも囚われず、命を全(まっと)うしましょう。
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