人生においては、誰一人満たされることはありません。
誰も、真の満足を得ることはできません。
誰もが不足を抱え、それが満たされることはありません。
すべての満足は偽の満足に過ぎません。
人は常に不足を抱えているのです。
あなたはそのことを覚えておきましょう。
すべての人は不足を満たすために行動します。
行動することによって、不足は満たされます。
それによって一時的な満足を得ることはできます。
しかしながら、別の不足が生じます。
そして、その不足を満たすために行動するのです。
人生とは、その作業の繰り返しです。
人は、生涯を通じて未熟な存在であり続けるのです。
あなたは決して不足を手放すことはできません。
それは、人生の目的が成長にあるからなのです。
成長するということは、不足を満たすということです。
不足を満たす過程において、成長が実現します。
そのため、人は生涯を通じて満たされることはないのです。
それで良いのです。
もしも、真の満足を得ることができれば、人生に意味はありません。
真の満足を得ることによって、あなたは生きる理由を失うのです。
あなたが得ることができるのが偽の満足であるために、生きる理由を失わずにいられるのです。
あなたが生きているのは、満足してはいないからです。
中には、満足していると思い込んでいる人もいるでしょうが、残念ながら、それは真の満足ではないのです。
それは、あなたの内に存在する欲求が教えてくれます。
あなたは、常に不足を感じていることでしょう。
より良いものを求めているに違いありません。
無いものを欲しがるのです。
人の不足は、無い物ねだりです。
何を得ようとも、自分に無いものを欲しがるのです。
人はそれぞれに特別な能力や魅力を持っています。
人は、それぞれに個性を所有しているのです。
個性とは限定的であり、その能力や魅力は偏っているのが自然です。
そのため、人は常に全体の一部しか所有することはできません。
しかしながら、そのことに気が付かないのです。
人は、多くを欲しがります。
自分の所有に満足することができないのです。
そのために、無い物ねだりに陥(おちい)るのです。
無い物ねだりに陥れば、自分の所有を軽んじます。
それは、自分の個性である、能力や魅力を軽んじることになるのです。
自分の個性を否定するのであれば、偽の満足ですら失うことになるのです。
人がどれだけ努めても、真の満足を得ることはできません。
真の満足とは、全体的な満足のことです。
あなたはすべてを満たすことはできないのです。
あなたが得られるのは、部分的な満足だけです。
それが自然なのです。
人は、部分的な偽の満足を得ることしかできません。
すべてを満たせると考えてはなりません。
できることもあれば、できないこともあります。
それで良いのです。
不満と満足を同時に所有しましょう。
何もかもを得られると考えてはなりません。
あなたは常に全体の中から一部を与えられるのです。
自分の所有に満足しましょう。
あなたが得られるのは、偽の満足です。
それを忘れてはなりません。
一部が満たされていれば良いのです。
無い物ねだりに陥らないように注意しましょう。
0 件のコメント:
コメントを投稿