あなたは、歪んでいます。
	あなたは、不自然であるのです。
	あなたは生まれながらに歪んでおり、生まれながらに不自然なのです。
	人生の意義とは、自らの歪みを正し、不自然を自然にすることにあるのです。
	しかしながら、多くの人は自分が歪んでいることを知りません。
	自分が不自然な存在であるということに気が付かないのです。
	それは、それが”普通”であったからです。
	人は、生まれる前から教育を受けています。
	祖父母や両親など、関わる大人に教育を受けるからです。
	関わる大人は、既に何かしらの教育を受け、何かしらの価値観を形成しています。
	それは、子どもに受け継がれます。
	すべての人は、生まれる以前から教育を受けているのです。
	誰もが生まれる以前から受けている教育であるために、その歪みや不自然さに気が付くことができません。
	大抵の人は、既成概念(きせいがいねん)に捕らわれるのです。
	既成概念に捕われている人は、既成概念に従って行為します。
	多くの人は、当たり前の教育を、当たり前のように行うのです。
	それが自分にとって、他者にとって、社会にとって、人類にとってどのような影響力を持っているのか?ということは考えません。
	当たり前に教えられたことを、当たり前にこなすという習慣によってのみ動かされているのです。
	残念ながら、既成概念に捕らわれるのであれば、自分の人生を生きることはできません。
	既成概念というものは、誰かにとっての最善であって、あなたの最善ではないからです。
	多くの人は、自分が何者であるのか?人生が何であるのか?ということを考えずに生きています。
	命の目的を持たずに生きているのです。
	大切なのは、自分の人生を生きることです。
	人には、それぞれに役割が与えらえています。
	それは、あなたにだけ与えられる特別な役割なのです。
	しかしながら、既成概念に捕らわれるのであれば、自らの役割を果たすことはできません。
	誰かのように、また、皆と同じように生きるのが関の山です。
	そこには、自分の人生が無いのです。
	大切なのは、これが自分の人生だと理解することです。
	あなたは、自分の人生を生きているのです。
	誰かのようになる必要も、誰かと同じように生きる必要もないのです。
	誰かのようになってはならないのです。
	自分の人生を生きるのです。
	誰も、あなたの”自分”を知りません。
	そのため、誰かに問い掛けても答えを得ることはできません。
	あなたは自分自身に問い掛けなければならないのです。
	そのためには、あなたを自分から引き離す既成概念を疑う必要があるのです。
	当たり前を疑い、”普通”を退(しりぞ)けなければなりません。
	当たり前や”普通”であってはならないのです。
	あなたが自分であるのならば、当たり前や”普通”ではいられないのです。
	あなたが自分であり、自分を生きるのであれば、歪みの無い、自然な人生を生きることができるでしょう。
	それは豊かさであり、充足なのです。
	多くの人は、自分では無いために、乏しさを生きているのです。
	苦悩を抱えている人は、それが自分の人生ではないからです。
	あなたは自分を生きるために生まれたのです。
	あなたは自分を生きなければなりません。
	そのために、既成概念を疑いましょう。
	既成概念こそが仇(あだ)となることを知りましょう。
	あなたは歪んでいます。
	あなたは不自然なのです。
	あなたは正しくありません。
	自然でもないのです。
	そのことを理解する必要があるのです。
	既成概念を手放せば、自分が見えてくるのです。
	あなたは自分を生きましょう。
	
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